なんで、こんな算数の勉強しないといけないの。将来べつに使うわけじゃないじゃない。

なんでこんなに漢字の勉強しないといけないの。携帯があるから漢字には困らないよ。

よく生徒たちにこのような質問攻めにあいます。

私の先輩はこう言っていました。「今の学力低下の本当の原因は何か。それは何のための勉強なのか、それを教えることができていないからじゃ」と。

戦前は、日本という国に仕えることが目的でした。戦後は、経済的に豊かになることが目的でした。では、今、勉強する目的は何か。

先輩は続けます。

「今勉強する目的は自分がハッピーになること。そして周りの人をハッピーにすること。オールピーポーハッピー (All people happy) なんじゃ。」先輩、いつからそんな英語を覚えたんですか?と疑問に思いつつも(笑)なんだかシンプルだけど、とても深いぞ、と私は耳をすましたのを覚えています。

「ハッピーとは何か。それは自分の持てる力を出し切ること。そして、自分を大事にして、他者を大事にすることなんじゃ。」と。

この先輩とのやりとりで、私が教育を行う目的がはっきりしたのです。

生徒に自分の持てる力を発揮してもらえるよう応援していこう。自分も他者も大事にしてもらえるよう、まずは自分自身が生徒を大事にしていこう。

なんのための勉強なのか。それは「オールピーポーハッピー」のため。

認識が変わってくると、事実も変わってくるんですよね。

これは教育業界では有名な実験なのですがとある二人の教師は、上司からこう伝えられたそうです。

片方には「あなたのクラスは、劣等生ばかりいます、がんばってくださいね。」

そして、もう片方には「あなたのクラスは、優等生ばかりを集めました。がんばってくださいね。」

実は、この二つのクラス、特に目立った違いはなかったそうです。そして、その結果、二つのクラスはどうなっていったか。劣等生と告げられたクラスは、特に変わらず。優等生と告げられたクラスは、成績が向上していったのです。

では、この二つのクラスの違いは何であったか。それは、先生の「意識」でした。

生徒たちの何を意識していたのか。片方は、劣等生という意識をもって生徒に接し、もう片方は、優等生という意識をもって生徒に接したのです。

すると、先生たちが感じることは(もちろん先生の力量にもよりますが)前者は、何をしても無駄、という閉塞感であり。後者は、必ずできる、という可能性であり希望です。つまり、先生が生徒たちの可能性を意識していくと生徒たちもその意識に反応していくのです。

このブログでたびたびでてくる先輩も常に私の可能性を見てくれました。

どんなミスを繰り返しても「大丈夫。小さなことにとらわれるな。エヴリシングオッケーじゃ。」と。これまた、いつの間にそんな英語を・・・と思うのもつかの間、小さなことにとらわれないようがんばろう、といつも思えたのです。

子どもたちの何を見るのか。現状のできないことを意識するのではなく子どもたちの可能性を信じ、彼らを意識して接する。それが今、大人に求められている役割ではないでしょうか。

それでは、皆さんMerry Christmas♪