中学3年生の高校受験の時、それなりに勉強したつもりでしたが、進学したアメリカの大学、大学院時代の勉強量は、まさに己の限界への挑戦でした。

もう1日10時間とか、時間数の問題ではありませんでした。

本当に、寝る、食う、以外は全てが勉強でした。

もちろん課外活動だったり、アルバイトだったりやりました。

ただ、デフォルトが勉強なのです。さぁ、勉強するぞ!と気合いを入れることなく勉強に取り組み、勉強を続けるのです。

むしろ、勉強以外をすることのほうが気合いが必要でした。

勉強が当たり前なのでむしろ勉強していないと、何かやることを忘れているんじゃないか、と不安になるくらいでした。

教科書を理解しておくことは当然のことであり、そこにプラスして、グループワークやエッセイの提出、プレゼンの準備。

これら全てを第二言語でやるのですから頭の中は常にフル稼働の状態でした。

 

ファイナルという学期末テストの前なんか何度も頭がおかしくなりました。

そんなときに先輩に相談しました。
「やることが多すぎて、死にそうです!」と。そうすると先輩はこう答えました。

「やることが多いと言っても、人は一つ一つのことをこなしていくしかない

それ以上のことはできない。全部一度にはできないのにやらなきゃいけないことを全部考えながら、目の前のことに取り組むからおかしくなる。

一つ一つ、やるべきことを書き出して、一つ一つやっていきなさい

それ以上のことはできないのだから」と。

 

心の底から納得したことを覚えています。

そこからは、もう一つ一つこなしていったのを覚えています。

そんな生活は大学と大学院の6年間続きました。

大学レベルで、終わったときはホッとしたのですが、大学院はさらに上のレベルでした。

多くの友人が博士レベルまで行きましたが、彼らは皆口をそろえてこう言います。

「教授でも目指さないのであれば、取る必要はない。精神が病む。」と。

アメリカの高等教育、おそるべしです。

大学と大学院は、本当に二度と戻りたくない経験でした。

ただ、あの6年間があったからこそ、今の自分がいることを自負しております。

 

日本の新人社会人が「大学の頃に戻りたい」なんて発言しようものなら、私はこう応えます。

「頼む、それだけは勘弁して。あの頃にだけは戻りたくない」と。(笑)

本当に地獄のような日々を送らせてくれた大学、大学院には感謝です。