なぜあの時、自分は携帯をいじっていたのか。

私は誓いました。息子が泣いているときは、携帯いじりはすぐやめよう、と。

ポートランド郊外、シアトル郊外、バンクーバー・キャマスWAにて巣鴨アドバンススクール(学習塾)とビーバートンにて巣鴨キッズ(幼稚園)を運営しています、みとのやです。

4歳の息子は、お母さんが大好きです。

何事も「お母さん!」が第一声です。

朝起きた時も。

転んで怪我をした時も。

お腹が減った時も。

お風呂に入れる時も。

夜の寝かしつけも。

そのため、お母さんがいるときは、私の戦闘力はめちゃくちゃ下がります。

世の多くの男性は同じような経験をしているかと。

総理大臣だろうが、大手企業の社長だろうが。

世の中の男性の戦闘力なんて、奥さんの前ではちっぽけなものです。

逆に、妻がいないときは、息子はなんでも「お父さん!」になります。

テレビつけて!

お尻ふいて!

靴履かせて!

抱っこ!おんぶ!

などなど。

そう、私は息子の召使い。

お母さんがいない時の私は、自分で言うのもなんですが、素晴らしい召使い(お父さん)をしている訳です。

しかし、なにぶんお母さんがいるときに、私がでる幕はありません。

むしろ、関われば関わるほど、私は悪者になります。

「お父さんじゃダメ!お母さんじゃないといや!」と。

関わっても、火に油を注ぐだけ。

妻も、私が関わらないことはある程度は承知しています。

「どうしてお母さんじゃないとダメなの」とか言いながらも、まんざらでもない顔をしている妻を私は知っています。

妻曰く、女性は求められると嬉しいらしいのです。

犯したミス

ただ、私は1つのミスを犯しました。

それはとある夜。

夕方から寝てしまっていた息子が夜に目を覚ましました。

起きた時にお母さんが隣にいないと「お母さん!」と泣くのです。

そんな息子が泣いているときに、私は何をしていたか。

泣いていてもお母さんがいる時の自分は戦闘力が低いから、と。

携帯をいじっていたのです。

戦闘力が低い自分は静かにしておこう、と。

俺の出る幕ではないや、と。

完全に他人事です。

ソファの上で私は体育座りしながら、携帯をいじっていました。

すると、妻が私の肩越しに、ドスの利いた声で言ってきました。

妻「子供が泣いているのによく携帯いじっていられるね。。。。」

私「うん?」

事の重大さを理解していない私はヘラヘラと携帯をいじり続けます。

妻「あのさ、全然面白くないよ。ヘラヘラしているけど。」

私「。。。」

妻「。。。まだ携帯いじるんだ。切れそうなんですけど」

自分の唾が喉を通る音が聞こえました。

ゴクリ。頭を動かさずに、黒目だけ動かすと、そこには妻の顔がありました。

「え、あ、ご、ごめん。(切れそうって言うか、切れてますよね。。。)」

慌てて携帯の電源を切る私。

妻のエンジンが急速に熱を帯びて行きます。

妻「逆の立場だったらどうなの?息子がお父さん!って泣いていて、私が携帯いじっていたら、どんな気分?」

私「もちろん嫌な気分です。」

妻「そうだよね。ならどうして携帯いじっているわけ?」

仕事をしていた訳でもなく、ただの暇つぶしをしていた私。

何も言い返せません。

「ご、ごめん。」

まずは謝るしかありません。

ただ、ここで私が息子の所に行っても、火に油な訳で。

でも、そんな言い訳をしたところで、妻はさらにキレる訳で。

って言うか、もう切れている訳で。

私の頭の中は、フル回転。

どうする自分。

この逆境をどうやって挽回する?

そんなことを考えていたら、目の前にとあるものを発見。

それは洗濯カゴ!

カゴの中には洗濯された衣類!

ワラにもすがる思いで、洗濯物をカゴから取り出して、たたみ始めました。

私「と、とりあえず、洗濯物を畳んでおくよ。」

妻「よろしい。」

そして私の元を去り、息子の元へ向かう妻。

息子を抱っこして妻が戻ってきました。

息子はフエェって弱音を吐いています。

「よしよし、お腹が減ったのかな?たくさん寝たねぇ。」

さっきのドスの利いた声とは180度違う、母の声になっている妻がいます。

私は誓いました。

もう2度と、息子が泣いているときは、携帯をいじるまい、と。

息子が泣いていたら、自分が息子のところに行っても何もできないのだけれど。

家事とかならできる訳で。

まとめ

今日の教訓

「息子泣く 携帯いじり すぐやめよ」

こうやってお父さんは1つずつ賢くなっていくのでしょう。

自分は何もできないから、ではなく自分は何ができるのかを考えて主体的に行動する。

他人事と思っていたら妻も切れます。

私が逆の立場なら、その他人事な態度ってどうなの?って思いますよ。

家事も育児も仕事ですからね。