5歳の息子が初めて補助輪なしの自転車に挑戦。

初日から難なく自転車に乗れてしまった息子。

うれしさよりも、何だかモヤモヤした自分がいたんです。

ポートランド郊外、シアトル郊外、バンクーバー・キャマスWAにて巣鴨アドバンススクール(学習塾)とビーバートンにて巣鴨キッズ(幼稚園)を運営しています、みとのやです。

ガレージ

「補助輪をはずして!」と息子がまっすぐに私の目を見つめてきた。

友達は補助輪なしで自転車に乗れていたから、とのこと。

どれだけ補助輪外すように私が言っても、うんともすんとも言わなかったのに。

親は足元にも及ばない友達の影響。

よし、と私は息子とガレージへ。

スパナを手に取り、補助輪がついたボルトを回す。

これで君の役目は終わったんだな。お疲れ様、と補助輪をねぎらいながら。

三輪車

キックスクーター

バランスバイク

補助輪つき自転車

と乗り物が変わっていく息子。

一つ一つの乗り物が彼の人生を彩り、私たちに思い出を残していく。

過去の乗り物を振り返ることもなく、次々とステップアップしていく息子。

補助輪がなくなった自転車を見て、彼はこう言った。

「補助輪がないと俺の自転車かっこいいね」と。

最近自分のことを「俺」という息子。

補助輪がある自転車も悪くないぜ、と私は心で語りかける。

でも、彼にはもう必要のない補助輪。

自転車本体から外された補助輪は、まるでその使命を全うしたかのようにガレージに横たえていた。

公園の前

自転車のハンドルに手をかけ、ガレージの外に出た息子。

私は閉会ボタンを押して、ガレージのドアを中から閉めた。

一瞬息子が見えなくなる。

今までなら「お父さん早く玄関に来て!」という息子。

一瞬でも親が見えなくなると不安なのだろう。

でも、今回は違った。

彼の意識は自転車に向いていた。

私はガレージを閉めてから、家の玄関から外に出た。

息子は私を待っていた。

雲ひとつない快晴。

よし!いくぞ!と歩き始める私。

すると、自転車ごとバランスを崩して前庭のバラに突っ込む息子。

心配すると同時に、少し安心する自分。

補助輪、まだ必要かもね、と言ってしまいそうになる自分。

息子に代わって、自転車を手で押しながら、近くの公園に向かう。

緊張のためか、いつも以上によくしゃべる息子。

「お父さんは初めて自転車乗ったとき何度も転んだんでしょ?」

そうだよ。

前日の夜に私が初めて自転車に乗った時のことを聞いてきた。

何度も何度も失敗したことを息子に話しした。

「俺、最初から自転車乗れたら天才だよね?」

そうだな。天才だな。

いくらでもお父さんを追い越してくれよ、と思う自分がまだいた。

公園

近所の公園に入り、アスファルトの散歩道で停止。

周りは高い木で囲まれた公園。

オレゴンの木々は信じられないほどに高い。

広大な土地だから木々が高いのか。

木々が高いから広大なのか。

そんなことを思っていると息子が動き始めた。

自転車のサドルをまたぎ、前をまっすぐ真剣に見つめる息子。

一体どんな心境なのだろうか。

緊張感が伝わってくる。

風で木々の葉が擦れる音が聞こえる。

いつの間に補助輪なしの自転車に挑戦できるようになったのか。

すると、息子は、視線を下に落とした。

ペダルの上に置いた右足が下がっていく。

自転車はスッと進み出し。

そのまま止まることもなく。

倒れることもなく。

フラフラしながらも前へ進んでいった。

どんどん進む。

あれ?私は思った。

「何度倒れても立ち上がれ!」と巨人の星のような親子ドラマを期待していた自分。

急に自分の役がなくなってしまった役者さんのように、目の前で展開されるドラマをただエキストラとして見守るしかなかった。

20メートルほど先で自転車のバランスが崩れた。

左足をつき、右足を地面につける。

そして、後ろを振り向く息子。

「できたよ!できた!」

その表情には興奮と驚きが混じっていた。

できたという興奮と、できたんだという驚きが。

「やったね!できたね!」と高い木々に囲まれながら叫ぶ私。

私の声は息子に届いていたのだろうか。

息子は20メートルほどの距離を補助輪なしで転ばずに進めてしまったのだ。

初めての補助輪なし自転車で。

何度も転んでしまう息子の動画を撮ろうと思っていたのに。

何度も転ぶなら、ゆっくりとカメラの準備をすればいいや、と思っていた自分。

その後も何度かはバランスを崩しつつも、やはりスムーズに自転車に乗れてしまった息子。

他人から見たら、親子の微笑ましい光景だったかもしれない。

通りすがる老夫婦は「Good Job」などと言って、通り過ぎていく。

ただ私の心はなんだかモヤモヤしていた。

どんどん成長していく息子。

一人でやれることが増えていく息子。

あのガレージの中で横たえている補助輪は今頃何を考えているのだろうか。

補助輪は役目を終えた。

補助輪はその使命を全うして満足だったのか。それとも寂しがってるのか。

このモヤモヤ感は一体なんなのだろうか。

息子の成長は喜ばしいこと。

どんどん独り立ちしてくれ、とも思う。

でも、時にもうちょっと心の準備をさせてくれ、とも思う。

今までひと時もお父さんが見えなかったら「パパ」って呼んでいたじゃないか。

今まで補助輪なしでは自転車に乗れなかったじゃないか。

置いてかれる寂しさなのか。

いや、ちょっと違う。

息子の成長速度に追いつけていない寂しさなのか。

いや、全然違う。

なんなんだろうこのモヤモヤは。

公園後

公園での練習の後。

家への道中

私は息子と並んで歩いた。

息子は私を見上げて言ってきた。

「最初から補助輪なしで自転車に乗れたよ。俺って天才だね」と。

そのキラキラした瞳と目があった。

右手を息子の頭に置く。

そうだな、天才だな。

天才よ。

このモヤモヤの原因はなんなのか説明してくれ。

そしてもう少しの間でいいから、お父さんに猶予期間を設けてくれよ、と。

親が子離れできるための十分な猶予期間を。