年末、日本に帰国した際に、中学校のクラスの同窓会を開きました。
巣鴨アドバンススクール・巣鴨キッズのミトノヤです。
地元の公立中学校。
卒業以来、今回で何回目なんだろうか。。。
涙さえ流さなかった卒業式から、もうすぐ30年が経とうとしています。
正確には30年まであと数年。
いまだにこの30年という数字を書いていてびっくりします。
え?30年???なんじゃその年月って思います。
何年かに一回、連絡をして、声をかけて。
今回のはコロナ以来の開催で。
初めてLINEでグループ作って呼びかけました。
「またミトノヤからかよ」なんて思われていたかもしれない。
「また年末かよ、忙しいんだよ」なんて思われていたかもしれない。いや、これは実際に言われた。
それでも、集まってくれる仲間が地元にいることは、本当にありがたいことです。
平凡なクラス
うちのクラスは、特に団結力が強いクラスではありませんでした。
卒業式だって泣かなかったしね。
でも、不思議なもので、数年に一度でも顔を合わせることを繰り返していると、心の距離は少しずつ近づいていきます。
今では、おそらく地元で唯一、同窓会を開いているクラスになりました。
と言っても、他のクラスの同窓会のことなんて知らんけど。
時間が育てるもの
人との関係には「時間」が必要なんだと、つくづく思います。
タネを植えても、すぐには芽は出ない。
水をやり、光に当て、じっくりと待つ時間が必要です。
同じように、同級生との関係も、一度で深まるものではない。
少しずつ、少しずつ。
そうやって育まれていくのだと感じます。
カンボジアでの気づき
数年前、カンボジアの小さな村を訪れたことがあります。
そこでは、学校が午前だけで終わる子どもたちがいました。
理由は、お昼ご飯が学校から提供されないから。
もちろんお弁当を持って行く余裕もない子たち。
靴が買えず、裸足で通学する小学生もたくさんいました。
でも、彼らは満面の笑みで外から来た私を迎えてくれました。
「かわいそう」なんて言葉が失礼に思えるほどの笑顔と元気。
だけど、彼らの未来には、いくつもの壁が立ちはだかっているはずです。
そのとき、気づいたんです。
自分は、努力できる環境を“当たり前”に与えられていたんだな、と。
「努力」は誰にでもできるものじゃない
もちろん、私自身も努力はしてきました。
でもその努力は、安全な場所があって、毎日ご飯が食べられて、勉強できる環境があって初めてできたことでした。
努力できるって、実はとても大きな特権だった。
中学の頃のみとのや君は、それを知らなかった。
「努力しないやつはダメだ」と、ツンツンしていました。
もちろん、中学校の同級生たち全員が厳しい状況だったわけではありません。
地元の中学は、カンボジアの小さな村にある訳でもありません。
先進国日本であります。
でも当時、汚れた制服を着ていた子。授業に集中していなかった子。突然引越ししてしまった子。
もしその背景に、家庭の問題や経済的な事情があったとしたら?
想像することも、寄り添うこともできなかった自分を思い出すと、今でも心の奥底がチクリとします。
「分人」としての自分
「分人」という考え方があります。
本当の自分は一つじゃなく、誰と接するかによって、そのたびに違う“自分”が存在する。
縁する人によって、違う自分が出てくる、みたいな。
家族といるときの自分。
仕事のときの自分。
そして、同級生と会っているときの自分。
どれかが本当の自分なのではなく、そのどれもが本物で、どれも自分を形作る大切な一面です。
同窓会とは
自分にとっては、同窓会はただ、自分の中にあるレアな分人に出会える時でもあります。
昔の空気にふっと戻れる時間なんですよね。
40代なんて、中学生の頃は「立派なおじさんおばさん」だと思っていました。
でも、久しぶりに集まって、みんなで笑い合っている姿を見たとき――
不思議なことに、誰も“おじさんおばさん”には見えなかったんです。
まるで、目の前にフィルターがかかったかのように。
中学校の頃の面影が、少しも色あせずにそこにはありました。
みんな歳をとって、苦労を重ねて。
もちろんそれぞれ悩みはあって。
時間は経ったけれど、だからこそお互いを認め合える仲になった。
時と共に成熟して、いいクラスになったな、って思うんですよね。
だからね、中学の頃のツンツンしていたミトノヤくんに言ってあげたい。
40代も悪くないぞって。
むしろ、クラスの奴らが愛おしくなってるぞって。