みとのやブログ

ポートランドで子育て中の先生の日々

プロフィール

アメリカ、オレゴン州ポートランドで子育てやりつつ、日本人向けの学習塾、巣鴨アドバンススクールUS3校舎と巣鴨キッズという幼児向けプリスクールの経営してます。

地元の子育て情報や体験談を中心にブログ書いています。

子育て中のお父さんお母さんのお役に立てれば嬉しい限りです!

自己紹介のショートバージョン

幼少期は3年間アメリカで過ごしました。アメリカも英語も大嫌いになりました。

中学・高校時代を日本で過ごし、英語コンプレックスを少しずつ脱し。

アメリカで大学・大学院を終え、やっと英語コンプレックスを脱しました。

日本に帰国して学習塾に就職。その後、アメリカに再度渡り、日本人子女のための塾をスタートしました。

おかげさまで塾をスタートして10年以上が経ちました。

「自分を大事に、周りを大事に」がうちの教育理念の一つでもあります。

人が人を大事にする社会を築くためにも、人材育成が何よりも大事だと思っています。

自己紹介のロングバージョン

幼少期

乳幼児の時、いつも同じ向きで寝る子でした。母はなんども私を動かしたのですが、それでも同じ向きで寝ていたそうです。

そのため、私の後頭部は丸くなく、断崖絶壁

小学生の時に、家の周りでかくれんぼをしていたら、頭を出窓の角っこに打って、頭から血が。

初めての救急車。断崖絶壁の頭は血まみれに。

小学4年生からは3年間アメリカのロスで過ごしました。まだ小学生だしアメリカにはすぐに慣れるだろう、という両親の期待はハズレ、私はアメリカがキライに。もちろん英語も大キライに

中学時代

日本に帰国後は、帰国子女ということで注目されたせいか、いじめられました。

「お前の頭がでかくて黒板見えないんだよ!」と授業中に笑われました。

頭が断崖絶壁で血まみれを経験して、次は頭が大きいのがコンプレックスでした

小学校の時、大人用のヘルメットがやっと入ったくらい大きかったです。

問題を抱える頭は私の悩みのタネでした。

「英語も運動だってよく出来る。帰国子女はいいよな。」そんなことを周りから言われ、別に帰国子女だからできるんじゃなく努力してんだ!と当時は思っていました。

ただ努力して報われるってありがたいことだったんだなと、マンガ「ウシジマ君」を読んで最近は思います。

転校した公立中学は本当に多種多様な人間の集まりで、元クラスメイトが駅前で刀を振り回してケイサツに捕まった、と風のウワサで聞きました。

ボロボロの制服を着ていたクラスメイトは、家庭の事情でいつのまにか転校していました。

中学校時代に社会の縮図を見た気がします。

高校時代

大学付属の私立高校に。付属の大学に行くことを疑うこともなかった高3の夏。

廊下ですれちがった英語の先生にこう言われました。

コウイチはアメリカの大学にどうして行かないの?」

え?アメリカの大学に行く理由がないから。。。

日本の大学に行く目的はあるの?」

いえ、特に。。。

大学に行く目的がないなら、アメリカ行ったら?」と。

この何気ない会話は私をアメリカに再挑戦させてくれました。その先生には感謝あるのみです。

大学時代前半

留学先は日本からも近い西海岸の3つの州が選択肢に。

カリフォルニアは小学時代のトラウマ、ワシントン州はアメリカの首都だから物価も高い、という間違った知識(DCとワシントン州を混同)で、オレゴンを選びました

まず訪れたのは、オレゴン州の超ど田舎にあるコミュニティカレッジ(コミカレ)。

コミカレを1年ちょっと通い、編入志望の大学に落ちたので、しぶしぶポートランドの4大に。

この編入先が縁でポートランドでの塾開校につながったので、人生何が吉と出るかわかりません

大学時代後半

大学ではグローバルビジネスを専攻。

なんとなくカッコよく聞こえる専攻名ですが、全然大したことない学部でした。

統計学のプロジェクトで、統計を使って身の回りの真相を解明する、という課題が出たのですが、「ビジネス学部は他の学部に比べて一番ラクに成績が取れる」ということを、生徒たちの高校のGPAと大学でのGPAのデータをひっぱって統計で立証しました。

教授からはこれは論文にして、大学の新聞で発表するべきだと言われましたが、何を恐れたのか、放置でした。人生そんなに後悔することはありませんが、これだけは後悔しています。

インターナショナルクラブに所属していたのですが、そこで部長しました。

トルコ人とフランス人、インド人にロシア人、ノルウェー人に中国人、エジプト人にイラン人と本当に多種多様な人材で構成されたクラブ会議は、時間通りに始まることは一度たりともありませんでした。

大学時代は、片思いだった子に会うために、片道18時間の運転でカリフォルニアに行きました。そして、道中30マイルオーバーのスピード違反で警察につかまりました。

ピアノをひき始めたのもその子の「ピアノひける人ってカッコイイよね」の一言でした。しかし、彼女のバースデーにピアノをひいて聞かせて、その数ヶ月後にふられました。

それ以来、ピアノには触れていません。

大学院時代

大学4年生の時に、ビジネスなんてやりたくないとやっと気づきました。

前から興味のある教育をやろうと、奨学金という名の学生ローンを組んで大学院で外国語教育学を学びました。日本政策金融公庫さん、ありがとうございます。

大学院は、アイビーリーグも合格し調子に乗っていましたが、前から行きたかった小規模の大学院を選びました。

院では「君のペーパーは大学院レベルのものではない」と言われ落ち込みましたが、自分で自分を褒めたいくらい頑張りました。

もう2度とあんなに勉強したくありません。博士号とかとっちゃう人たちはどれだけMなんだ、と心から尊敬してます。

会社員時代

大学院を卒業して帰国後は、学習塾に就職。

あれほどビジネスをやりたくないと教育に舵を切ったにもかかわらず、結局、両方が必要な職業につきました。

人生とは不思議なものです。

「石の上にも3年」という上司の言葉どおり、2年間で3年間分を学んで退職しました。

この間に今のビジネスパートナーと出会い、月1でデニーズに集合し、経営や教育を伝授されました。

アメリカ時代

その後、自分のような頭で悩んでいる英語で苦労している帰国子女を一人でも減らしたい(日本の労働環境はひどすぎる!)とアメリカに渡り塾をスタート。

巣鴨アドバンススクールという学習塾をポートランド(OR)、バンクーバー(WA)、レドモンド(WA)で運営しています。

最初はretailとofficeの違いも知らず、教室さえ借りられずに帰国しそうになりました。

2年目に労働ビザが更新できず帰国しなければいけなかった時は、本当に終わったと思いました。ビザは切り替えて取得。雨降って地固まりました。

この苦しい間、とある先輩がずっと支えてくれました。先輩がいなければ、絶対に挫折していました。

人は1人では強くない、どんなに強そうな人を見ても、そんなことを考えます。

そんな紆余曲折ありながらも、おかげさまで、巣鴨アドバンススクールは2018年で開校10年になります。

現在は3校舎と新しく巣鴨キッズという幼稚園もビーバートンに開園しました。

今現在は、妻と3歳の息子と一緒に、日々を過ごしています。

頭が断崖絶壁、血まみれ、大きい、と悩み続けてきましたが、最近は髪が薄いのが気になります。

頭には常に悩まされています。と言っても(笑)です。

内服薬を飲めば髪がフサフサになるようですが、まだ手をつけていません。いつか飲みたいとは思っています。

その程度の悩みです。

今後の目標

人が人を大事にする社会。そのために今までやってきましたし、これからもそのための人材育成だと思っています。

理想は高く、でも現実を一歩でも理想に近づけるように、この悩まされた頭で日々悪戦苦闘しています。

経営って本当に難しい!

こちらのブログは、子育てしながらオレゴンを満喫するための情報を提供したり、奥さんとどううまく子育ての日々をやりくりするか、などをお伝えできればと考えています。

数々の失敗談がありますので、楽しまれつつも何かお役にたつことをお伝えできれば本望です。