先日、歯医者に行って、思い出したエピソードがあります。

ポートランド郊外、シアトル郊外、バンクーバー・キャマスWAにて巣鴨アドバンススクール(学習塾)とビーバートンにて巣鴨キッズ(幼稚園)を運営しています、みとのやです。

別に虫歯ではないんですよ。
虫歯ではないのですが、詰め物が欠けてしまっていて、詰め物を入れ替える必要があると歯医者さんに言われました。

もうナスがまま。
私はまな板の上のナスのように、ただただ歯茎に注射されました。

無事に治療は終わったのですが、私の左頬はまるで殴られた後のような感触です。

呂律が回らないのです。

人生において一度も殴られたことなんかないんですよ。
殴られたことはないけれど、殴られたような感触。
本当に、大人は適当なことを書くものです。


あ、でもそんなことを書いていて思い出したんです。
ガツンと殴られた記憶を。

そうだった殴られたことありました。

私が小学2年生か3年生の時でした。
それはそれは怖い先生であり、同時に温かい女性の先生でした。

宿題も変わっていて――
たとえば、「友達5人と銭湯に行きなさい」とか、
「友達10人と野球をしなさい」とか。

そして、それを毎回日記にしてきなさい、という宿題を出す先生でした。

幼いながらに「こんな宿題簡単じゃん、ラッキー」と思っていましたが、
今となってはその宿題の深さに感服しております。

これって、ものすごく利害調整が必要な宿題だったのだな、と今さらながら思うわけです。

なぜなら、10人を一か所に集めるだけでも結構大変。連絡もしなければいけない。当時は携帯もないわけで。どうやってみんなで集まったのか、誰がバットとボールを持ってきたのか。今思うと本当に不思議です。

また銭湯で刺青の入ったスキンヘッドのおじさんに、怒られたのも良い思い出です。

銭湯のお湯が熱すぎたので、小学生の私は当然のように蛇口をひねってお水を入れていたのですが、喝を入れられました。「何やっとんじゃ!」と。おしっこちびりそうでした。


そんな特殊な宿題を出す先生と、いたずら好きな男子生徒の私。
先生にはよく怒られていました。

何をしたのかは覚えていませんが、何かをやらかして廊下に立たされたんですね。
他にも数人、同じように廊下に立たされた男子がいました。

そして、授業後に廊下にて1人ずつ頭をゴツンと先生にやられるわけです。そういうのが当たり前の時代でした。

1人目。「ゴツン!」
「いてっ!」
「よし、行ってよし。」

2人目。「ゴツン!」
「いてっ!」
「よし、行ってよし。」

3人目。「ゴツン!」
「いてっ!」
「よし、行ってよし。」

そして私の番が来ました。
私は一体何を考えていたのでしょうか。
先生がゴツンとするときに、ヒョイっと避けてしまったのです。

もちろん先生は怒り心頭。
私はもう1時間、1人だけで廊下に立たされる羽目に。


そして1時間後、先生が再びやってきました。

「今回のは痛いわよ。避けた分も合わせるからね。」

先生はゲンコツに息を吹きかけます。

私は覚悟を決め、目をつぶりました。

「ゴツン!」
「いてっ!」

「ごめんなさい」とだけ謝り、私は他の子どもたちと一緒に下校。

その道すがら、他の子どもたちに囲まれて、こう言われたのです。

「みとちゃん、先生のゲンコツ避けたんだって?すごいね!」

「まぁね!」と得意げになった反省がない小学生の私でした。


今思うと、その先生には本当にお世話になりました。今も思い出す数々のエピソードがあります。

私自身、数々の先生方にお世話になった以上に、後世の生徒たちを大事にしていきたい、という思いがあります。
もちろん、頭をゴツンなんてやりませんけどね。

でも30年後とかに、生徒たちの記憶の片隅に残る先生ではありたいな、と思っています。

別にそれを目的にやっているわけではなく、日々ただ全力で、目の前の生徒たちをどう成長させていくか、と取り組んでいるだけなのですが――
結果として、記憶に残ってくれていたら嬉しいな、と思うわけです。

そんなわけで、当時ごつんと殴られた小学生男子も、今となっては周りから「先生」と呼ばれている今日この頃です。