学校って納得いかないことたくさんあるじゃないですか。

塾の先生である私のところにも子供たちの納得いかない!という声が届きます。

そんな時、私は子供達にこう伝えます。

「正しさという物差し」ではなく、「損か得かの物差し」で考えてみたら、と。

ポートランド郊外、シアトル郊外、バンクーバー・キャマスWAにて巣鴨アドバンススクール(学習塾)とビーバートンにて巣鴨キッズ(幼稚園)を運営しています、みとのやです。

かけ算の順序

先日友人が小学校の計算方法でこれってどうなの?という投稿をSNSでしていました。

下は友人のではなく、twitterで拾った画像です。

問題 車が6台あります。1台の車に5人ずつ乗ると、みんなで何人乗れますか?

間違いな回答 6✖️5= 30人

これの何が間違っているの?と思うかもしれません。

正しい回答 5✖️6= 30人

かけ算の順序が逆なんですね。

掛け算の順序が逆だけど、答えは合ってるわけで。

そんな問題です。

私も教育現場が長い立場として、もうこの問いに何度も答えてきました。

何が正しいのか。

順序が逆だって答えが一緒なんだからいいのでは?とか。

いや、読解力を知るためには、順序を理解していることが大事なんだ、とか。

結局、日本の学校教育の中では、順序が合っていないと正しくないとされることが多いようです。

正しさとは

絶対的な正しさってありません。

それぞれの立場でこちらが正しい、と言っています。

学校の中での正しさ。

それは文部科学省であったり、校長先生であったり、現場の先生が決めてるんですね。

でも学校の外に出たら何が正しいかは社会が決めるんです。

国であったり、属している会社であったり、または家族であったり。

結局、住む場所が違えば、ともに暮らす人が変われば、その都度正しさというのは変わっていきます。

さらに言えば、時代が変わると正しさも変わります。

場所や時代でどんどん変化していく正しさ。

だって、ちょっと前まで、夏もネクタイ必須だった日本。

それがサラリーマンの宿命だ!なんて言われてたのに。

2005年からクールビズがスタートしたら、2020年には夏のネクタイなんてださくなってしまうのですから。

時代が変われば正しさなんて変わるんです。

アメリカのかけ算の順序は

ちなみに私が住むアメリカオレゴン州ではどのような指導がされているのか。

かけ算の順序は別にどっちでも良いようです。

それ以上に、その式の説明をできるかどうかが問われます。

車が6台あって、1台に5人乗っているので、2台で10人。4台で20人。6台だと30人です、と。

しっかりと言葉や図などで説明できればOKということになっています。

正しさよりも損か得か

では、国や時代によって変わる正しさ。

その正しさの代わりに私たちが子供に伝えられることは何か。

私たちが伝えられること。

それは、何をしたら損で何をしたら得なのか、という考え方です。

損得で物事を考えてみるとシンプルになります。

この算数のマルの付け方に文句があれば、文句をつけたら良い。

その代わり、先生に目をつけられるかもしれないし、つけられないかもしれない。

残念ながら出る杭は打たれやすいのが日本の現状です。

それを理解した上で、正しいと思うことを訴えたければ訴えれば良い。

「先生!この式はどういう理由でバツになるのですか?」と。

その結果として先生の意見を変えられるかもしれないし、変えられないかもしれない。

または先生に説得されるかもしれない。

逆に何かが違っていると思っても、利口に受け入れるのも、それも人生です。

「式の順序なんて学校での正しさであり、社会に出たらどっちでも良さそうだし。ここは黙っておくか」と。

逆に飲み込みたくないのなら、その世界を変えようとするのも人生であり。

そこから抜け出して新しい世界を求めるのも人生。

学校が嫌なら、オンラインで高卒資格をとってもいい。

日本が嫌なら、国外に出てみたら良い。

何が自分にとって得で、何が損なのか。

全部、自分。

自分で決めること。

ルールの中で生きるのもよし。

ルールが嫌で変えるのもよし。

ルールの外で生きるのもよし。

自分にとって何が得で何が損か。

自分が属するグループで何が得で何が損か。

自分で考えること。

その上で、自分がどうしたいのかを考えてみたら、と生徒に伝えています。

まとめ

どんな国、どんな時代でも通じる絶対的な正しさなんてありません。

正しさは国によって違えば、時代とともに変わっていくのですから。

正しさを物差しで使うと、どうしても違う立場の人を悪と捉えてしまいます。

いや、私は正しい。あなたは間違っていると。

そうではなく、損得で考えると、私は得してる、あなたは損してるよ、となります。

その方が世の中にある抵抗を減らせるかなって思うんです。

「正しさという物差し」ではなく「損得という物差し」を子どもに渡してみてはいかがでしょうか。