息子が登校中に言ったんですよ。

「お父さん、見て。あの子の服めっちゃ大きい!面白いよ」って。

だからこう伝えました。

人の着ている服を笑いのネタにするのはダサいよ、と。

ポートランド、シアトル、バンクーバーWAにて巣鴨アドバンススクール(学習塾)とビーバートンにて巣鴨キッズ(幼稚園)を運営しています、みとのやです。

私はいつものごとく、息子と一緒に現地校へと歩いて登校していました。

片道15分程度の登校です。

いつも息子とはくだらないことを話ししています。

おしり、とか、おならとか。

小学1年生の男の子が大好きなトピックです。

私も負けじと、「中学生はチューがくせー」と本当にどうでもいいことを言っていました。

何を張り合っているの?といつも妻から笑われます。

そんな私に息子も言い返します。

「中学生はお尻がくせー。」

あ、こいつ今のがダジャレだと認識していないな。

もう一回言ってやるか。

「中学生はチューがくせー」

「はっはっは、中学生はオナラがくせー」

と言う具合に、私のダジャレを闘牛士のように、赤いマントでひらりと交わす息子。

私は考えました。

例が一つだけではダジャレを理解できないか。

なら、いくつかダジャレを言ってみるか。

小学生は○○しょうがくせーの〇〇に何かを入れられないか。。。

「小学生は、文章がくせー」ならどうか。。。

うーん、臭い文章は小学生には書けないし。。。

「小学生の本性がくせー。」

むしろ、大人の方が本性はくせーし。。。

いや、待てよ、小学生ではなく高校生なら何かひらめくのでは。。。

高校生は、○○こうこうセー

親孝行セーなら行けるな。

よし、言ってみるか。

「高校生は親孝行セー」

私は渾身の一撃を息子に与えたつもりでした。

息子は笑っていましたしが、こう言ってきました。

「はっはっは、高校生はお尻がくせー。」

。。。

私のダジャレは全く理解されませんでした。

そうなると、息子がダジャレの概念を理解するかどうかはどうでもよくなってきました。

私は、先ほど思いつけなかった「〇〇しょうがくせー」の〇〇に入る言葉がないか、真剣に探し始めたのです。

頭の中では辞書をめくる音が聞こえてきます。

「あ」しょうがくせい、

「い」しょうがくせい

「化粧学生(け小学生)」

うーん、別に小学生が化粧していようがしていまいがどうでも良いな。。。

そんなことをあーじゃない、こうじゃないと考えていました。

もしかしたら、これはフェルマーの最終定理なみの難題なのではないかとさえ思いました。

この難問を解いた時、私はレッドカーペットの上でシャッターの嵐を浴びているかもしれない、と。

その時です。

息子が後ろを振り返って、こう言ったのです。

「お父さん、見て。あの子の服めっちゃ大きい!面白い!」って。

見ると、私たちの後ろを女の子が歩いていました

小さな体に合っていない大きめのジャケットを着ていた女の子が。

私たちは日本語で会話をしていたので、後ろの女の子がそれを理解することはなかったでしょう。

また息子も悪気はなかったことでしょう。

ただ、体に合っていない服を着た子がいた。

それは事実でした。

ただ、私はどうしても流したくなかった。

なんだかカチンと来てしまったんです。

私は声を低くして、息子に声をかけました。

声が低くなるときは、何か叱られる時。

やべ、叱られる、という顔を息子はしていました。

「女の子の服のことを笑ったの?」私は聞きました。

「してない、してない。」

少し慌てる息子。

私は続けます。

「あのね。。。

もしかしたらだけどね。

オシャレで大きめのジャケットを着ているのかもしれないよ。

かわいいと思ってね。

もしかしたら、体に合ったジャケットを買えなかったのかもしれないよ。

もしかしたら、お金がなかったのかもしれないよ。

どんな状況かは分からないんだ。

だから、人が着ている服を笑ったりするものじゃない。

ましてや人の外見を笑ったって面白くもなんともない。

ダサいよ。」

そう伝えました。

少し気まずそうにする息子。

そんなタイミングで学校に到着。

「行ってきます」大きなリュックを背負った小さな体は、建物へと入って行きました。

ちゃんと伝わったかな、と不安になりつつも、小さな体が見えなくなるまで見送る私。

人の着ているものを笑う。

人の外見をネタにする。

小学生の定番かもしれません。

私も中学・高校時代、そんなネタで笑っていたかもしれません。

大人になっても、着ている服を笑うことはなくても、他人と違うことを笑う風潮が日本にはあります。

日本のお笑い番組で漫才とかみていると、ハゲネタとか、デブネタとか、ヒョロネタとかあって、なんだか悲しくなったのを思い出します。

だから日本では周りの人が何を着ているかを気にする。

周りに合わせようとする。

一人だけ浮かないように気をつける。

少しでも「普通」から外れていると、そこを気にするし、周りも指摘してしまう。

私は、この日本の文化が苦手です。

日本人は愛情表現が下手ですから。

その指摘に愛があるなら、百歩譲って許しましょう。

ただ、息子には他人の着ているものや外見を笑いのネタにするような人間にはなってほしくない。

人の着ているものを指摘するときは、褒める時だけでいいじゃないですか。

その服、素敵ですね。

その靴、かっこいいですね。

その髪型、お似合いですね。

褒める時以外は、別にいいんですよ。

外見について指摘する必要なんかないんだから。

人の着ている服なんて。

本人が選んだんだから。

他人は、何も指摘する必要ないんですから。

だって、世の中には、人の着ている服より楽しいことがいくらでもあるんですから。

着ている服をネタにして笑いを取らなくたって、いくらでも笑えるネタはあるのですから。

ダサいじゃないですか。

他人の着ている服や身につけているものしか笑いのネタにできないなんて。

他人が太っているとか、禿げてるとか、痩せているとか、そんなのを笑いのネタにしているのを聞くとね。

ダッサって思います。

そんなことで笑ってないで、私を手伝って欲しいですよ。

フェルマーの最終定理なみの難問を解くのを手伝ってください。

小学生は〇〇しょうがくせー

この〇〇がひらめいた時、私はマスコミから賞賛の嵐を受けていることでしょう。

別記事:外見を気にする日本人:容姿をいじることはダサいとされるアメリカ