よく聞きますよね。

「帰国子女は英語を簡単に習得できて良いわよね」と。

ポートランド郊外、シアトル郊外、バンクーバー・キャマスWAにて巣鴨アドバンススクール(学習塾)とビーバートンにて巣鴨キッズ(幼稚園)を運営しています、みとのやです。

帰国子女は恵まれている?

アメリカに来て、英語を学ぶ子どもたち。

「帰国子女」と言われる子どもたちですね。

または、アメリカ生まれで日本語を学ぶ子どもたち。

「永住生」と言われる子どもたちですね。

どちらにも共通して言えることは、バイリンガルになるためには、それはそれは大変な時間と労力を必要とする、ということです。

日本でよく言われることの一つにこんなのがあります。

「帰国子女は英語を簡単に習得できて良いわよね」と。

いえいえいえ!

いえいえいえ!

いえいえいえ!

つい3回も言ってしまいしました。

バイリンガルになる道は遠く険しい。

「帰国子女はいいわよね」と発言する方がいましたら、アメリカに来て生活してみてほしいですよね。

なぜなら、アメリカに来て英語を身につけることは、想像以上に一筋縄なことではないからです。

めちゃくちゃ大変です。

英語も日本語も同時進行で習得だなんて、お皿を2枚同時に指で回しながら、頭の上でももう1枚回すくらい大変です。

染之助・染太郎さんも言ってくれることでしょう。

「いつもより余計に回っております!おめでとうございます!」と。

それくらいハードモードなんです。

帰国子女も永住生も、2言語を同時で学び続けることはめちゃくちゃハードモードなんです。

海外におけるバイリンガル教育の恵まれた点

もちろん、海外在住だからこそ簡単なこともありますよ。

それは日常会話の習得。

ここだけは簡単です。

英語の日常会話は、2年もアメリカにいればできるようになります。

「元気?」「元気だよ!」

そんな日常会話です。

「週末はどうだった?」「うーん、別に。」

そんな日常会話です。

「そのペン俺のだよ!」「違うよ、俺のだよ!」

そんな日常会話です。

日常会話の英語は、正直誰でもできるようになります。

場数の問題ですから。

アメリカ在住の日本人の子供達にとって、英語の習得は生きるか死ぬか。

現地校に行きながら、英語での日常会話ができないは「死」を意味します。

誰だって死にたくはありません。

それなら、嫌でも習得するわけです。

必死です。

皆さんも生きるか死ぬかの状況に置かれてみてください。

人間なんだってできるようになります。

ダイエットだってそうでしょう。

「あなたは病気です。3ヶ月で5キロ痩せないとあなたは死にます」と言われたら、誰だって痩せることでしょう。

子供が置かれている状況はそんな必死な状況です。

そんな状況で、英語の日常会話が習得できないわけがない。

日常会話くらいは、ほぼ問題なく習得できます。

バイリンガル教育の次のステップ

問題は次です。

日常会話の次です。

日常会話の次は、学習言語といわれるものです。

そう、読んで字のごとく。

学習するための英語力。

バイリンガルといっても、初心者バイリンガルと上級者バイリンガルがいます。

初心者バイリンガルは、日常会話レベルの英語なので、誰でもなれます。

誰もが、アメリカの学校に放り込まれたら、初心者バイリンガルにはなれるのです。

ここで冒頭の発言は正しいことになります。

「帰国子女はいいわよね、英語も簡単に習得できて」と。

そう。

初心者バイリンガルには誰でもなれる。

それは嘘ではありません。

でも、初心者バイリンガルになっても、正直いいことは一つもありません。

なぜなら、「元気?」「元気だよ」って言えたところで、仕事にはならないからです。

こんな会話だけでは、友達はできないからです。

問題は上級者バイリンガルになれるかどうか。

つまり読み書きできるバイリンガルです。

読み書きできるバイリンガルにならないと、本当の意味で現地校生活は生き延びることはできません。

なぜなら、学校とは「読み書き」を学ぶところだから。

ここ大事な点ですので、もう一度。

学校とは「読み書き」を学ぶところなんです。

文字を読めるようになったり、物語を楽しめるようになったり、説明文を理解できるようになったり。

そして、理解した内容をクラスメートと共有する場所です。

そう言う場所が学校です。

この読み書きの上達がないと、現地の学校では大変苦労します。

これ、日本在住の日本人の生徒たちでさえ、小学4年生あたりで多くの子が苦労します。

なぜなら、小学校高学年あたりから、表現が抽象的になり、相対的になるからです。

抽象的とは、物事が分かりづらくなるのです。

今まで、「机」や「イス」という触れる物の単語を学んでいたのが、急に「友情」とか「優しさ」とかになります。

これが友情だよ!とかこれが優しさだよ、と説明しづらくなるのです。

また、相対的とは、物事を絶対的に見なくなること。

今まで、4x5=20と数えたらなんとかなっていたことが、急に100の40%と120の35%はどちらの方が大きいでしょう、とかになります。

40%と30%だけ見ると、40%の方が大きいように見えますが、この場合は35%の方が大きいことになります。

この時に、え?どういうこと?となるわけです。

こんな風に、学ぶことが抽象的になり、相対的になります。

そうなるとですね。

勉強が大変になってくるんですね。

日本在住の日本人でさえ大変なこの小学4年生の壁。

これはバイリンガルでも同じことです。

いや、2言語を同時進行でやっているので、それはそれは、今までは指で1枚のお皿を支えていればよかったのが、頭も使って3枚同時に支えないといけないことになります。

「いつもより余計に回っております!」とまたまた染之助・染太郎さんも喜んでくれることでしょう。

めちゃくちゃハードモードです。

それこそ夜遅くまで勉強しまくりです。

訳が分からずに、泣いて過ごす夜もあるわけです。

家庭内だって、日本語も英語も心配。

英語が軌道に乗ってきたかな、と思いきや、いつの間にか子供が「今日、teacherがschoolでね!」なんてルー大柴をやり始めるわけですよ。

染之助染太郎やっていたと思ったらルー大柴になっていたんですからね。

そりゃ焦りますよね。

英語よりもむしろ日本語がダメになっていた!なんてことも。

両言語を同時にやっているので、結局どっちつかずになっちゃうのでは、という心配だって出てきます。

アメリカ在住のバイリンガル人生は超ハードモードな訳です。

まとめ:帰国子女は楽に言語を習得する?

もちろんこのアメリカ在住ハードモードをクリアできれば、帰国子女の子たちは相当な力をつけることができます。

なぜなら必死だからです。

海外におけるバイリンガル教育は必死にやらざるを得ません。

時間も労力も、1言語だけのとは大きく違います。

そういう意味では恵まれていると言えるのかもしれません。

他の選択肢がないのですから。

でもね、「あなたは病気なので5キロ落とさないと死にますよ」と言われて5キロ落とした人にですよ。

「いいわよね、病気のあなたは5キロ落とせて」とは言いませんよね。

または、染之助・染太郎さんにですよ。

「いいわよね、あなたは余計なお皿を回せて」とは言いませんよね。

いいじゃないですか。

余計にお皿を回している時くらい「いつもより余計に回っております!」って言ってあげましょうよ。

「帰国子女は楽に英語が習得できていいわよね」の代わりに「アメリカでの英語習得って想像以上に大変なんでしょ?」と言ってあげてください。

そうしたら、あなたは駐在の方々の心を鷲掴みすることでしょう。