先日、私は息子を現地校に連れて行き、家に帰りました。

そして、いつものように、自宅兼巣鴨キッズプリスクールのゲートを開けて、園児たちの登園の準備。

いつもの如く、ほうきで道をはき。

そして、ピヨ(ニワトリ)に餌をあげようとしました。

いつもでしたら、私が小屋の近くを通るだけで、金網をバシバシ蹴っていたピヨ。

でも、その時だけは、一切音がしませんでした。

はて?

私は、朝ドラの、いのつめ寅子(ともこ)ばりに疑問に思いました。

はて?ピヨはどうして静かなのか。。。

よく見ると、そこには、ピヨが横たわっていたのです。

え?

ピヨが寝てる?

とよく見ると、そこにはピヨの体だけがありました。

そう、ピヨの首から上がないのです。

あるのはピヨの体だけでした。

あわわわわ

まるでドラマの殺害現場に遭遇して腰を抜かした人ばりにあわあわしてしまった私。

とにかくこの事態を妻に伝えなければ、と慌てて家のドアをノックして妻を呼びます。

妻「何?どうしたの?」

私「あわわわ」

妻「何?わからないから言葉で言って」

私「ピヨが。。。ピヨが。。。首が。。。首が。。。」

妻「何?ちゃんと文章で言って!」

その後、言葉にならない私を横目に、小屋に近づく妻。妻も、ピヨの惨状を確認しました。

妻「これはラクーンか何かにやられたね。。。」

やけに冷静な妻。

なんだ、うちの妻はあわあわしないのか。。。

ピヨの周りには、羽が散乱していました。

血が飛び散っているわけでもなく、ただただそこには羽のついた肉塊が横たわっていました。

ピヨについて

2019年に飼い始めたピヨ。

お店で買ったピヨ。

お店のおばちゃんに代金は2羽分でいいから、3羽持って行って、と言われ。

そして、3羽持って行って大きくなるまで育てたら、1羽はオスでめちゃくちゃうるさく。

なかなか朝寝れずに、お店に返却。

残る2羽のうち1羽は、いつの間にか失踪していて。

結局、1羽だけ残ったのが今のピヨでした。

それから6年が経ち、我が家は一体、何個の卵をいただいたのでしょうか。

元々は、卵かけご飯を食べたい!という超個人的な理由で飼い始めたニワトリ。

アメリカでは、お店で売っている卵は、厳密には卵かけご飯のために使えないのです。

また卵の値段が高騰している昨今。

ピヨの卵は貴重でした。

私たちにとっては、非常に大事な食料源でした。

また巣鴨キッズの園児たちにとってもアイドル的な存在でした。

登園、降園する時に、ピヨを囲んで、草をあげているいる園児たちを見るのが幸せなひとときでした。

そんなピヨでしたが、今朝、気づいたら亡くなっていました。

夜中にラクーンかコヨーテか、何らかの野生動物にやられたのでしょう。

家の裏は森です。

森林です。

昼間は多くの隣人がウォーキングする場所でありますが、夜は野生動物たちがたむろする場所でもあります。

リスはもちろん、フクロウやラクーンも見たことがあります。

今回の殺害現場を検証してみましょう。

羽が散乱していました。

おそらく、生きようと精一杯逃げ回ったのでしょう。

また、首がない状態だったピヨ。

実は小屋には小さな穴が空いてありました。

餌をあげるための穴でした。

それもピヨの首がちょうど通る程度の小さな穴です。

その穴の近くに横たわるようにあったピヨの体。

おそらくですが、ピヨは迫る相手から、逃げ回ったのでしょう。

羽は散乱して、小屋の中の止まり木も外れていました。

そして、どういうわけか穴から首を出した途端に、首を掴まれて、食いちぎられたのでしょう。

ただ、体だけは、その穴を通すことができず、その野生動物は立ち去ったのでしょう。

私はこの酷い現場を見て、思いました。

ジェジェジェと。

朝ドラの「あまちゃん」ばりにジェジェジェと思ったのです。

最初は、はて?だったのが、ジェジェジェになったのです。

首がないピヨの姿は悲惨でした。

ただ同時にこう思ったのです。

あ、コスコのチキンだ、と。

コスコのチキンに羽をまきつけて足がある状態だ、と。

私はコスコのチキンを見ても何も思いません。

美味しそうだな、くらいにしか思いません。

おそらくみなさんもそうでしょう。

店頭に、ローストされたチキンがあっても何も感じないことでしょう。

私はしょっちゅう鶏肉も食べています。

躊躇なくお肉に平気で包丁を入れます。

親子が綴じられた親子丼でさえ、美味しく食べます。

しかし、友人のわんちゃんが亡くなった時、私は涙しました。

本当に私自身が色々と苦しい時に、癒されたわんちゃんだったからです。

その時は、号泣しました。

また、朝ドラの「あんぱん」にてごうちゃんが戻らない人となった時の方が涙しました。

「ごうちゃん、もうてこん」の蘭子のセリフに涙しました。

そんな友人のわんちゃんの死に涙し、朝ドラで涙を流したのに、6年間を共にしたピヨの死に、涙は全く流れませんでした。

私自身、不思議でした。

あれ、悲しくないぞ、と。どうしてだ、と。

むしろ、殺害した野生動物に怒りさえ感じています。

それも、ピヨが殺された、というよりも、自分たちの卵を食べる機会を奪われたことに対してです。

と同時に、私は思いました。

私に野生動物を責める資格があるのだろうか、と。

彼らは腹が減ったから、ピヨを殺して食べた。

弱肉強食という世の理です。

それを責める資格が人間にあるのだろうか、と。

それを怒る資格が私にあるのだろうか、と。

そうなると、怒りというよりも、後悔が残ります。

どうして小屋に餌用の穴を開けていたのか、と。

野生動物によって命を失うこととなったピヨ。

ただ、私たちも日々、ピヨの仲間である鶏を食している。

そんな事実に、私はただ涙を流せないでいるのでした。

今まで、このピヨシリーズを読んでいただきありがとうございました。

また、ニワトリを飼うかもしれませんし、飼わないかもしれません。

いえ、ほぼ確実にまた鶏を飼うことでしょう。

なぜなら卵かけご飯を食べられるし、巣鴨キッズの園児たちも喜ぶから。

なんだかんだでピヨとの6年間は楽しい日々でした。

今も庭に出るたびに、小屋を蹴る音が聞こえず、あ、ピヨはもういないんだった、と思っています。

ほいたらね、ピヨ。また巣鴨キッズの園児たちのためによろしくね。