怒りがこみ上げてくると、どうして理不尽な発言をしてしまうのか。

ポートランド郊外、シアトル郊外、バンクーバー・キャマスWAにて巣鴨アドバンススクール(学習塾)とビーバートンにて巣鴨キッズ(幼稚園)を運営しています、みとのやです。

我が家のお風呂タイムとは

平日は帰りが遅いため、私は息子と一緒にお風呂に入ることはありません。

週末のみの貴重な息子とのお風呂タイム。

妻も助かります。

お風呂に入っている間、妻は家事だったり、自分がやるべきことをやれるから。

私にとっては久しぶりの息子とのお風呂タイム。

妻にとっては家事に取り組める時間。

全てのプレイヤーがWin Winで終わるはずの週末のお風呂タイムでした。

息子の拒絶

私はお風呂の垢をスポンジでこすりながら思っていました。

今日も息子は「お母さんとお風呂に入りたい!」と言うのだろうと。

そして、私はオモチャなどで彼をひきとめる訳です。

お風呂掃除が終わり、シャワーを止めて、息子を誘いに行きます。

「よし、今日はお父さんとお風呂に入ろう!」

すると息子は案の定こう言います。

「嫌だ!お母さんと入る!」と。

強い意志です。

私はいつものことと理解して、勝手にお風呂に入ります。

「ほら、早く入りな。」

なかなかお風呂に入ろうとしない息子。

妻も状況を察知してお風呂場に駆けつけます。

アメリカのお風呂場というのは、トイレも洗面台も付いているあのお風呂場です。

妻がバスタブの横で膝をついて息子にこう言います。

「ほら、お母さん来たからお風呂に入って」

息子は渋々、服を脱ぎ、お風呂に入ってきます。

「でも、お母さんも入って。3人で入る!」と。

3人で入るなんて、まずバスタブはそんなに広くないので無理ですし。

また3人で入るなんて、win winなお風呂タイムでなくなります。

あまりにも息子の抵抗が長いので、私の中のイライラが徐々に高まってきます。

私は滅多にイライラしないのですが、その時はお腹が減っていたのもあったのかもしれません。

とにかくイライラ。

「ほら、頭洗うよ!」と息子に言っても。

「お母さんじゃなきゃいや!」との一点張り。

「お母さんは忙しいの!」と伝えても「嫌!」を連呼する息子。

なんとかして言うことを聞かそうとする私。

「ならいいの?臭くて、みんなから嫌われちゃうよ」

脅しです。

別に一日お風呂に入らなくたって、臭くはありません。

オレゴンは湿気が低いので、日本のように毎日お風呂に入らなくても大きな問題ではないのです。

しかし、脅しを使って、子どもを言う通りにしようとする私。

すると、そんな大人を見透かしたのか、自分で頭にお湯をかけて、頭を洗い始める息子。

いつの間に自分で頭にお湯をかけられるようになっていたのか、と私は正直ビックリしていました。

人はなぜ怒るのか

人はどうして怒るのでしょうか。

相手が言うことを聞かないから?

何か痛い思いをしたから?

人が怒る原因なんて様々です。

鍵が見つからない時。

急いでいるのに信号が赤にしかならない時。

椅子の角に足の指をぶつけた時。

色々な原因が考えられますが、育児における怒りとは、主にこれが原因です。

自分が達成したい目標を邪魔されるから

この一言に尽きます。

ご飯を食べさせようとしてるのに拒まれる。

ご飯を食べたいのに、子供が泣いている。

時間に間に合うように外出しようとしているのに、この靴下じゃ嫌、と遅れそうになる。

とにかくこちらの思い通りにいかない。

こちらの目標を邪魔される。

これこそ育児におけるあるある怒りポイント。

とどめの一言

お風呂場にて、自分で頭を洗った息子は、ずっとバスタブの外で待っていたお母さんに訴えます。

お母さんと一緒がよかった!と。

私のイライラは頂点に。

私「もうお父さんとはお風呂に入りたくないのね!?」

息子「いいよ!お母さんと入るから」

私「わかりました。もうそれならお父さんは、一緒に遊びません。もう追いかけっこもしません!いいのね!?」

息子「うん」

論理も何もあったものではありません。

一緒にお風呂に入らないから、もう二度と一緒に遊ばない。

いつもの私なら、こんな発言なんてしないことでしょう。

でも、この日は本当にイライラしていたのです。

あ、言ってしまった。。。。私の心の叫びでした。

お風呂から出て

怒りという感情に任せて、理不尽なことを言ってしまった。

後悔、そして反省。

その後、部屋でパジャマに着替えていた息子。

妻は服をタンスにしまっているところでした。

私は息子に切り出しました。

私「お話があります」

息子「う、うん」

すると妻が気を利かして。

妻「1対1がいい?」

私「うん、お願い」

妻が部屋から出て行きます。

私は息子の前に正座で座りました。

息子も正座になります。

いつもなら1対1で話がある時は、お説教です。

でも、今回はお説教ではありません。

私はこう切り出しました。

私「さっき、お父さんこう言ったよね。一緒にお風呂に入らないなら、もう一緒に追いかけっこしない、と。」

息子「うん」

私「理不尽なことを言いました。ごめんなさい。」

息子「う、うん」

私「お風呂と追いかけっこは別々の問題だから。ただね、お父さんはお母さんに楽をさせてあげたかったの。週末はお父さんお仕事ないでしょ?」

息子「うん」

私「お仕事ない週末は(息子が)お父さんと一緒にお風呂に入ってくれると、お母さんが助かるんだ。だからお母さんを助けるために、週末は一緒にお風呂に入って欲しいの。」

息子「そうだったのか。それならそうと言ってよね。」

私「あ、わかってくれるのか。」

息子「お父さん、さっきはお風呂に入らないなんて言ってごめんね。」

(な、なんだこの返し。大人だなぁ。息子を子供扱いしていたのは自分だったのか。)

想像以上に、大人な返しをしてきた息子にビックリしたものです。

相手を子供扱いしていたのは、私だったのかもしれません。

子供である前に、一人の小さな大人でもあるのですから。

私は思いっきり息子をハグしました。

彼の体温が伝わってきます。

彼の成長にビックリすると同時に、私自身の小ささを痛感していました。

まとめ

怒りというのは人間でいる限り、出てくるものです。

ましてや怒りを伴わない育児というのはほぼ不可能です。

私自身、育児をする前は、自分だけはイライラしないで育児をするぞ、と思っていたものです。

ただ子供に長く接していればいるほど、思った通りにことが運ばないことが多く。

イライラは募りやすいものです。

ただ、怒りとともに、何か理不尽なことを子供に言ってしまった時は、正直に子供に謝ってしまうのもありでしょう。

大人は完璧ではありません。

一人の人間であり、間違いをおかすものであり。

そんな間違いをおかした時に、素直に認めることから、子どもも何かを学んでくれているのかもしれません。

子供を子供としてみるのではなく、一人の小さな大人として接する。

そうすることで、自分が取るべき言動が見えてくるのかもしれません。