私、冷蔵庫にある調味料とかを探せないんですよ。

「この調味料、こんなところにあったの?」ということも多々。

妻は妻で、タッパーなどにある残り物を捨てられないんですね。

そんな冷蔵庫にまつわる私たち夫婦のお話です。

ポートランド郊外、シアトル郊外、バンクーバー・キャマスWAにて巣鴨アドバンススクール(学習塾)とビーバートンにて巣鴨キッズ(幼稚園)を運営しています、みとのやです。

冷蔵庫の調味料を見つけられない旦那

「んー、オイスターソースがないなぁ。」

と珍しく餃子を作ろうと奮闘する私が、妻にオイスターソースの場所を尋ねました。

「冷蔵庫にあるよ!」と妻。

しかし、冷蔵庫の中を探せど探せど、見つけられません。

冷蔵庫を開けたまま中を見つめつつ、ダイニングにいる妻に伝えます。

「うーん、やっぱり。。。ないんだよね。」

そうしたら、妻が冷蔵庫までスタスタと歩いてきて、ふん!とその手でオイスターソースをつかんでいるんですね。

まるで水戸黄門の印籠のように。

このオイスターソースが目に入らぬか!と掲げてきます。

私は、ははぁ、と頭を垂らす悪人になり下がります。

妻はあっという間に冷蔵庫から必要なものを見つけてしまうんです。

「そんなところにあったの?そこ探したのに!おっかしいなぁ。」

本当にさっきまでなかったものが急に現れる。

妻は水戸黄門ではなく、マジシャンのようです。

一方、私はしょっちゅう冷蔵庫で迷うんですよね。

あれがない、これがない、と。

毎回のように妻に聞いてしまいます。

ただそんな冷蔵庫の中のものを見つけられない私は、寄り道をするからこそ、色々なものを発見してしまいます。

奥の方にある、タッパーに入って放置されている残りものの蕎麦とかね。

捨てられない妻

多分ですが、妻は知っていますね。

知っていて知らないふりをしている。

冷蔵庫の奥深くに残り物があることは知っているはずです。

だって常にオイスターソースのありかを把握しているくらいですからね。

多分、彼女は日々認識はしているはずです。

そろそろあの残りものが寿命を全うしそうだな、って言うのは。

でも確証がないのでしょう。

天寿を全うしたかどうかは定かではないのでしょう。

だから、今だけは、そのままにしておく。

そうっとしておく。

それが優しさなのかどうかはさておき。

「まだ腐っているかどうか分からないし、そうっとしておいてあげようよ」と妻の小人がささやくのでしょう。

そして、私は私で、冷蔵庫でものを見つけられないにも関わらず、残り物を見つけてしまうんですよ。

いや、探し物がすぐ見つからないからこそ、残り物を見つけてしまうのでしょう。

残り物の蕎麦

とある日、私が冷蔵庫で例のごとく探し物をしていました。

奥にあったタッパーを手に取り、ふたを開けて蕎麦を確認。

そして、妻に聞きます。

「この蕎麦。。。。もう食べられないよね」と。

おそらく妻は、こう思っているはずです。

「ついに見つけたか。。。」

でも、妻は一切そんなそぶりは見せずに、こう言うんです。

「一応ニオイ嗅いでみて」と。

で、私はタッパーのふたを開けて、鼻を近づけますね。

クンクン、と。

これは大丈夫かも、と私は思い。

「あ、でもこれまだ食べられるかも。」と妻に報告。

すると、妻がこう言うんです。

「その蕎麦のために、自分の健康のリスクを犯すの?」と。

もう最もなことを述べてくる訳です。

「その蕎麦を捨てないことと、自分の健康、どっちが大事?」と。

確かに、たかだか蕎麦の残りに、自分の健康のリスクを犯す必要はないわけで。

ただ残すのはもったいないわけで。

もったいないばあさんにも怒られるわけですが。

自分が寝込んでもダメなわけですよ。

それこそ寝込んでる時間がもったいないじゃないですか。

すると、私が仕方なく蕎麦を捨てる担当になるんですよね。

「蕎麦よ、ごめんね」と一言謝りながらゴミ箱に。

蕎麦の液体が残ったタッパーは念入りに洗います。

すると妻は影でニヤリとしていますね。

おそらく目のところは黒い影に覆われて、口元だけニヤリとしていることでしょう。

こちらに悟られずに、見えないところで口角があがっていることでしょう。

自分の手を汚さずに、ゴミ処理を終わらせてしまったのですから。

大抵、私が残り物を見つけるときは、もう手遅れなんですよ。

そんなに頻繁にオイスターソースを探しているわけではないですからね。

多分妻の頭の中は、こうなっているはずです。

「あー、この前のやつだ。これ。もうダメかも。。。でもまだ確信ないから、今はそうっとしておこう。そのうち旦那が最後のトドメをさしてくれるはず。」と。

決断を先延ばしして、延命措置をするってやつですよね。

腐りかけの残飯は、そのまま少しずつ少しずつ腐っていきます。

まるで感染症対策本部にある菌を培養する倉庫のように。

少しずつ少しずつ菌は繁殖していくのです。

そして、その日はやってきます。

処刑の日。

Xデーです。

菌が増えすぎたことにより、その残飯は処刑されることが確定します。

しかし、妻は自分で処刑はしません。

自分の手は汚さずに、しかるべき措置を施す。

よく映画で悪党の親玉がやる手ですよ。

その親玉にまんまと手のひらで転がされる私。

冷蔵庫でさまよう旦那が、処刑係となる訳です。

「この蕎麦。。。。もう食べられないよね」と。

妻がニヤリとしていることも知らずにね。

夫婦ブログ

冷蔵庫にまつわる私たち夫婦の話でした。

いくつか夫婦の話をこちらのブログでも紹介しております。

↑ は夫婦ネタへのリンクです。

特にガルガル期に関するブログ記事はおかげさまで、累計30,000PVとかになりました。

仮にも30,000の方が、こちらのガルガル期の記事をクリックしてくれたって言うことはありがたいことですよ。

なんだか色々なところで紹介していただいているようで。

最近は、Yahoo!知恵袋からのリンクも多くなってきました。

これからも夫婦にまつわる話を書いていきたいと思います。

今後とも、みとのや ブログをよろしくお願いします。