最近の若者は転勤を断るらしい、という話を聞いたので、わずらわしさを排除していく先に待ち構えている育児はわずらわしさのラスボスなのでは?という話です。

ポートランド、シアトル、バンクーバーWAにて巣鴨アドバンススクール(学習塾)とビーバートンにて巣鴨キッズ(幼稚園)を運営しています、みとのやです。

会社中心ではない世代

最近の若者、私よりも10個くらい下の年代、は会社の辞令、転勤を断るらしいのです。

私の世代(1980年代生まれ)というのは、まだ社畜人生が当たり前感がありました。

会社の命令は絶対である、と。

いや、心のどこかで、思ってはいたのです。

こんな世の中は間違っている!と。

でも、会社とはこんなものであり、社会とはこんなものだろう、という考えもありました。

しかし時は2022年、私も「最近の若者」とは呼ばれない世代になりました。

最近の若者は、転勤を断る、という話を聞き、その断る気持ちも十分理解できます。

どうして会社の都合で引っ越ししないといけないの?と。

また、転勤だけではなく、上司からの飲みの誘いだって断るそうです。

実際に、私も断られたことがあります。

「この後、一緒にご飯行く?」と若者に誘ったら、ゲームがあるんで、と断られたことがありました。

あ、そうだよね。。。ゲームやらないとだよね。。。

とその若者の思考を肯定しようと頑張った自分がいたものです。

上司の誘いよりも、ゲームの方が楽しいに決まっているよね!と言い聞かせる自分。

私の世代というのは、昭和の終わり頃に子供時代を過ごし、就職氷河期の末期に就職をした世代です。

小学校の時だって、廊下に立たされました。

担任の先生に、痛いから覚悟しなさい、と言われゲンコツで頭を叩かれました。

素行が悪い生徒は、竹刀を持った先生にこっぴどくやられていました。

部活の途中で水を飲んではいけないし。先輩の言い分はなんだかんだ絶対でした。

しかし、学生の頃には、体罰って意味ないよね、という雰囲気があったのも事実ですし。

体罰が社会的に受け入れられなくなっていったのを目の当たりにしました。

会社でも、上司は絶対であり、社畜って嫌な単語だけれど、社畜以外のオプションがあるのかい?と思ったものです。

上司の飲みの誘いは絶対であり、一発芸やれ、と言われたらやるのです。

やらないというオプションはありません。

だからこそ、半沢直樹はヒーローだったのです。

断るべきことは断る。

自分の正義を貫く。

現実としてありえない行動をとる主人公だったからこそヒーローなのです。

実際に半澤直樹みたいな人がいたら、ヒーローでもなんでもありません。

倍返しをしたところで、窓際族にされて試合終了です。

スラムダンク安西監督でさえ諦めたことでしょう。

我々世代の功罪

会社の転勤命令は断り、上司の誘いも、ゲームを理由に断る若者が現れ、私はそんな「最近の若者」の気持ちが非常によくわかります。

会社の都合なんて知らないよね、おじさんと飲みに行くよりは、ゲームしてた方がいいよね、という気持ちです。

めっちゃわかる!と。

ただ、どこかで、そのわずらわしさを排除していくと、マイナス面もあったのでは、と思ってしまうのです。

あの上司の無理難題をこなし、一発芸を披露し。。。

二次会、三次会と付き合わされながらも、自分たちだけはそれを後輩には強要しない。

それこそ我々の世代の正義だったはずです。

部活で先輩にひどいことをされても、後輩にはそんなことはしない、という正義。

しかし、それは本当に正義だったのか、とも思うわけです。

それは我々世代の功罪なのかもしれません。

つまり、世の中にはわずらわしさがあって、そこから得られるプラスな面も多々あるよ、ということを身を以て、後輩たちに伝えてこなかったのではないか、と。

育児はわずらわしい?

転勤も飲み会もわずらわしいでしょうが、わずらわしさの代表として子育てがあります。

わずらわしいといってはお叱りを受けてしまいそうですが。

ここでは、自分の思い通りにならない、という意味で育児をわずらわしいと言っておきます。

子育てというと、幅広いので、ここでは赤ちゃん期の「育児」に限定しましょう。

育児とは、まさに自分中心から、赤ちゃん中心に劇的に変化を迫られる時です。

育児をしていると、今までの自分が、どれだけ自分中心で動いていたのか、というのを嫌でも認識させられます。

寝たいのに寝れない。

起きたい時間に起きれない。

外に行きたくても、なかなか外に行けない。

お寿司を食べたくても、レストランに行けない。

携帯をいじっていたくても、僕と遊んで!と言われてしまう。

仕事なんてもってのほか。

集中してきたぞ!となると、かまって攻撃をする息子。

自分がゲームやっていたいから断る、ということは育児には通用しません。

もちろんゲームを理由に飲み会を断る、という話と育児を混同しては行けないかもしれません。

なぜなら育児とは、自分の赤ちゃんであり、上司とはあくまでも赤の他人だからです。

でも、どこかはるか彼方、遠いギャラクシーでは共通の話になってくるわけです。

「I am your Father」

とスターウォーズのダースベーダーも言ってくることでしょう。

え?あなたが僕のお父さんだったの?

とダースベーダーが赤の他人だと思っていたら、実はお父さんだった、という話です。

話がそれました。

そり過ぎて腰が痛くなってしまう世代です。

上司はあなたのお父さんではありません。

ただのおっさんです。

要は何が言いたかったか、というと、それはつまり、つまりですよ。

私たち世代は、会社や他者中心の生き方をわずらわしいと思いつつも、受け入れてきた最後の世代だったのかな、と。

わずらわしい関係ですよ。

先輩であり、会社であり、上司であり。

社畜万歳なんていう気は全くありません。

私も、サラリーマンを経験して、今となっては経営する側です。

私の同期も、皆、幸か不幸か昇格し管理する側になってきました。

会社に支えられる側から、会社を支える側になってきています。

人材を、若手を育成する側なのです。

「最近の若者は」とどこかで聞いた話を私たち世代がするようになってきました。

そんな時に、今まで培ってきたわずらわしさへの耐性、というのが育児の時にも生かされているように思ってしまうのです。

戦後世代と比べたら、その自由さは格段の差でしょう。

自動洗濯機も、掃除機もない中で、家事や育児をしてきた世代からしたら、何を言っているの、と鼻で笑われてしまうかもしれません。

我々、人類はどんどん自由な時間を手に入れています。

ついには、上司との飲みの時間までにもメスが入るようになりました。

転勤命令だって、メスが入るように。

そのうち、会社の拘束時間だって、メスが入るようになるのでしょうか。

僕ゲームやるんで、働きません。。。いや、もう実際に多くの人が、ニートとして過ごせています。

戦後には考えられない社会の変化です。

それだけ世の中が豊かになった、ということでしょう。

働かざる者食うべからず、ではありません。

働かなくても食うのに困らず、です。

わずらわしさのラスボスこそ育児

自分ではコントロールできない、わずらわしい関係。

かつては先輩であり、上司でした。

それが赤ちゃんになっただけの話です。

世の中はどんどん自分のやりたいように動ける社会になってきています。

自分がやりたいことをやればいいし、上司の誘いよりゲームを優先させても何も困ることはないでしょう。

それこそ、私たちが望んでいた社会です。

わずらわしさのない社会です。

しかし、皆がわずらわしさを排除していく先に。

そこに育児のわずらわしさへの準備はできるのかな、と思ってしまいます。

煩わしくない人間関係の中、赤ちゃん中心で過ごせるのかな、と。

育児とは、本当に辛く厳しいものであると同時に、子供がいない人生なんて考えられなくなるほど、楽しく充実したものです。

でも、育児を楽しむためには、自分中心から、赤ちゃん中心になる時期が一定期間は必要です。

オムツ変えて欲しい?お腹すいたの?眠いの?ゲームが終わったらね、が通用しないのです。

そういう意味では、私たちの世代は、上司の命令は絶対であり、自分中心で動こうとしても、通用しない何かが常にありました。

育児も大変といえば、大変でしたが、わずらわしさに対する準備はできていたように思います。

時代が豊かになればなるほど。

自由な時間が持てるようになればなるほど。

わずらわしい人間関係は減り、育児のラスボス感が際立つようになってきました。

まとめ

最近の若者は転勤を断るらしい、という話から、人間関係構築のわずらわしさ、そしてわずらわしい育児をつなげて話をしてみました。

育児とは、まさに自分中心の生活から赤ちゃん中心へのわずらわしさ極まりない生活への変化です。

断っておきますが、転勤は断るな、とか上司の誘いを受け入れろ、という話ではありません。

赤ちゃんはわずらわしいぞ、なんてことも一ミリも思っていません。

でも、人間関係とは、時に楽しく、時にわずらわしいものです。

そんなわずらわしい人間関係が多々あったからこそ、育児のわずらわしさにも対応できたのかな、と思ってしまうのがおじさん世代なのです。

人間関係の構築とは、それが上司であれ、赤ちゃんであれ、ダースベーダーであれ、なんであれ。

人間関係の構築はわずらわしい訳です。時間もかかります。

でも、そのわずらわしさから得られるものもありまして。

わずらわしい関係をどんどん排除していく先に、育児というわずらわしさのラスボスを攻略できるのか、と勝手ながら心配してしまうのです。

ま、私自身、日本のわずらわしさを避けて、アメリカに来てしまったので、何も説得力がないですし。

私自身、育児で本当に苦労したのでね。自分への戒めの意味も込めて。

「I am your father」ということでお許しください。