やっと心に余裕が出てきた。それがこのブログ記事を書き終わった感想でした。

ポートランド郊外、シアトル郊外、バンクーバー・キャマスWAにて巣鴨アドバンススクール(学習塾)とビーバートンにて巣鴨キッズ(幼稚園)を運営しています、みとのやです。

ブログ更新ストップ

4週続けてブログ記事を更新できていませんでした。

ごめんなさい。タイトルに月曜更新とか書いてるのにね。

って誰に謝っているんだろうか。。。

私は考えてみたんですね。誰に申し訳ないのだろうか、と。

そもそも、このブログって誰のために書いているんだ、と。

色々とぐちゃぐちゃ考えていると、何を考えていたのかさえ思い出せず、悶々としておりました。

頭の中だけで考えていると、いつまで経ってもぐるぐると考えてしまいます。

言い訳

この1ヶ月ちょっとですね。

色々と非日常的な生活が続きまして、書く余裕がなかったんですね。

非日常的な生活に関しては、また後日ここに書けたらと考えております。

書く余裕がなかったと言っても、時間もそうですが、それ以上に心の余裕がなかったんですよね。

ましてや、私の書くスタイルがどちらかというと面白おかしく書く傾向があるので、そういう創作は、ある程度こちらの心に余裕がないと難しいのかな、とも思っていました。

でも、こうやってブログを書いているとですね。不思議と心に余裕が生まれてくる気がするんですよね。

皆さんもありませんか。

テスト前の勉強で余裕がない

友達にサッカー誘われた。

断って勉強しようとしたら、勉強が進まない。

そういうことってありますよね。

そんな時、本当はサッカー行ってしまった方が、テスト勉強もはかどったりするんですよね。

気づいてしまった事実

それと一緒でですね。私は気づいたんですよね。

時間と心に余裕がないからブログを書けないのではなく、ブログを書かないからいつまで経っても心に余裕ができないのだ、と。

みとのやブログを書いているとですね。なんでしょうね。本当にもう1人のブロガーな自分が勝手に書いてくれてるような気分なんですよね。

もう1人のブロガーな自分がいて、自分を客観的にみてくれている気分なんですね。

やっぱり書いていかないと、少し寂しいんです。

日常がどんどん過ぎていってしまって。

振り返っても楽しかった、という一言で終わってしまって。

日常には面白いことがたくさんあるのに、何も思い出せません。残念でならないんですよね。

だから書く。とにかく書くんです。

書くと言っても、筆を持っているわけではありませんからね。

この指をカタカタと打ち続けるんです。

リターンキーを小指で打つんです!

スペースキーを親指で打って、漢字変換するんです!

バックグランドでドラえもんの歌が流れていようが、ピカチューの攻撃が始まろうが、関係ありません。とにかくリターンキーもスペースキーも打ち続ける。

書いた先に何があるのか。そんなこと考えているのなら、書くべし。

そして書いたものがどれだけ満足いかなかったとしても、公開するべし。

満足できた文章であろうが、なかろうが。なぜなら自分は書いたんだから。

書くことで、公開することで、どんどん自分の心に余裕が取り戻せるような気がするんです。

書くから心に余裕が生まれる

余裕が出てきたら書こうではなく、書いていたら余裕が生まれてくる。

書くという行為は本当に不思議なものです。

なんだか久しぶりにノートアプリを開いて、パソコンでタイプしていたら心に余裕が生まれました。

書くことは、自分の悶々とした気持ちを文字化してくれることだから。

文字化すると、本当に心からスッキリします。

この記事のタイトルも、書いていて行きついたものです。

最初からタイトルを決めて書いたものではありません。

よし、なんだか色々と書ける気がしてきました。

ブログに感謝。

そして、こんな更新しないブログを読んでくれている読者の方々にも本当に感謝しております。

それと、今一度ブログに心を向かわせてくれたこちらの本にも感謝。

石川ゆき著 「書く習慣」