自分の命が明日もある保証なんてない。

そんなことを考える生き方は苦しいだけだ、と私は思っていました。

ポートランド郊外、シアトル郊外、バンクーバー・キャマスWAにて巣鴨アドバンススクール(学習塾)とビーバートンにて巣鴨キッズ(幼稚園)を運営しています、みとのやです。

ブログを書く前にやってしまうこと

私にとってブログを書くと言う行為は、日課ならぬ、週課です。

「月曜日更新」と書いてあるにも関わらず、大抵、違う日に更新されます。

読者の方々には大変心苦しく、本当に申し訳ないと思っています。

もういい加減、「月曜日更新」を外して、「毎週更新」に表記変更して逃げようとさえ思っています。

ただそんなことをした日には、毎週が毎月になり、やがて毎月が毎年更新にさえなってしまうかもしれません。

なので、月曜更新は断固死守しなければいけないのです!

それなら何も迷わずに月曜更新がんばりましょう、自分。

さて、毎度「ブログを書こう!」と思っても、なかなか指が動かないことがあります。

そんな時は、youtubeを見たり、twitterに目を通したり。

いつの間にか多くの時間をSNSで過ごしていまして。

気づくと、あ!やってしまった!

今日もやってしまった!

今日も!

と言うことを繰り返してきました。

そして、明日も同じことを続けることでしょう。

ただ、ここ最近は、少し変化がありまして。

SNSに時間を取られることが問題じゃないんだ、と思えるようになりました。

そうすると、自然とSNSから適度な距離を置けるようになりました。

それも、私はこちらの本を読んだからです!

限りある時間の使い方

この本、本当にアマゾンでもレビューが多くてですね。

「目から鱗でした」みたいなコメントが多かったわけです。

なので、私もどれどれ、と読み始めたんですよね。

どんな時間の使い方を学べるのだろう、と。

そうしたら、まずびっくりしたのが、人生は80年間だとして4000週間しかないそうです。

え?本当に?

なので計算してみます。

80年x52週間=4160週間!

本当だ!と。

そして、私はもう半分生きてきたわけで、残りは2000週間と。

週間となると、なんだか現実味が出てきます。

こちらのブログは毎週更新できたらですが、あと2000回しか更新できないわけですね。

あと2000記事しか書けないってことです。。。

もちろん、毎週更新すればなので。

断固死守できずに、毎年更新になった日には、あと40回程度しか更新できないことになります!

もちろん毎日更新とかにすれば、更新回数は増えますけどね。

無駄な時間の過ごし方

んでね、「人はどうして無駄な時間を過ごしてしまうのか」との問いが本にあったんですね。

なんだと思います。

どうして人は無駄な時間を過ごしてしまうのでしょうか。

私はどうして、ブログを書く前にSNSをチェックしてしまうのでしょうか。

私はどうして、instagramのリール動画をスワイプしてしまうのでしょうか。

私はどうして、youtubeのサムネイル動画を次々とクリックしてしまうのでしょうか。

私はなぜブログを書く前にSNSを見てしまうのか。

それは。

ブログを書き始めると、自分の頭の中があからさまになるからですね。

十中八九ですよ。

十中八九、自分が思い描いていたように文章にまとめられません。

今日のブログ記事も面白くなかったな、と思うわけです。

大した冗談にもならず、大した笑いも届けられず。

やっぱり自分には文才はないんだな、と打ちのめされる訳ですよね。

そんな現実を見たくない。

自分は面白い文章を書けるんだ!と言う可能性を残しておきたい。

そうなると、ブログを書かずに、面白いブログを書ける可能性だけを残して、SNSを触っておけばいいわけです。

なぜならSNSを触っている間は、私は完璧なブログ記事をかける可能性を残しているわけですから。

なので、ブログを書くという大事なことよりも先に、無駄にSNSをチェックしてしまう訳ですね。

いや、SNSに逃げているだけ、とでも言えますね。

大事なことより無駄なこと

さて、この大事なことよりも無駄なことをしてしまう法則を人生にも当てはめてみましょう。

皆さんにとって、大事なことってなんでしょうか。

家族との時間でしょうか。

趣味に没頭する時間でしょうか。

スポーツをする時間でしょうか。

実は全員に共通して大事なこと、それはいつ最期を迎えるのか、ではないでしょうか。

私たちの人生は有限です。

80年生きるとして、4000週間です。

誰もが死を迎えます。

どれだけ医療が発達したとしても、人は死を迎えます。

それはまるで、必ず夜が来るように。

どれだけあがいても毎日夜が来るように、死は必ず来るのです。

どんなお金持ちでも、どんな貧乏でも、どれだけ有名でも、全く無名でも、人は必ず死にます。

その現実に向き合うこと。

それは非常に辛いことのように思えます。

いつかはこの世からいなくなって、自分の存在がなくなる。

いつかは家族とも別れることになる。

そう考えると、そんなことは考えたくない。

そんなことを考えている暇があったら、忙しくしないと、と。

日々をとにかく忙しく過ごそう、と思うわけですね。

少しでも暇ができれば、その暇を何かで埋めたくなる。

そうすることで、大事なことと向き合わないでも良いからです。

死と向き合わなくても良いからです。

文才がない自分と向き合いたくないが故に、私がSNSで時間を潰すように。

死と向き合いたくないから、それを避けて私たちは日々を忙しく生きているのだ、と作者は言います。

痛みを伴うけれど意識すること

でも、作者はこう続けます。

実は、対象を意識することで、対象から受ける痛みは軽減するのだ、と。

本では滝に打たれる修行僧の話が出てきました。

その修行僧の人は、滝に打たれるとき、めちゃくちゃ冷たい水なので、そのことを忘れようと別のことを考えるそうです。

でも別のことを考えようとすればするほど、水は冷たく耐え難いそうです。

でも、水を直視する。

冷たさを思いっきり感じる。

そうすると、冷たさを克服できるそうです。

これは死についても同じことが言えるのでは、と。

しっかりと自分の有限性に直視することで、死と対面することで、私たちは人生をよりよく生きていけるのだ、と。

本を読み終えて

明日、自分の命がある保証はない。

そんなふうに考えながら生きるのは心苦しい、辛いだけ。

そう思っていましたが、その苦しさと向き合うことで、より時間を自分の大事なことに使えるようになりました。

別にSNSを見なくなったか、無駄な時間を過ごさなくなったか、と言うと全くそんなことはありません。

相変わらずSNSは楽しいです。

また無駄な時間を過ごしてしまった!と反省する日々です。

でも、本を読み終えてからは、反省よりも、次は大事なことに取り組もうと思えました。

刻々と迫っている人生の最後。

それはいつか必ず来るんだな、と思うわけです。

その時に備えて、本当に大事なことを認識しようと思えるようになりました。

なので、先日はお休みの生徒が多かったのもあり、仕事を早退し、息子の現地校のミートアップ(集まり)に行ってみました。

たくさんの白人家族が集まっていました。

息子はこういう白人だらけの世界で頑張っているんだな、と再認識しました。

そう思うと、Pokémon GOをやらせてと言ってアイフォーンの画面を見ている息子が愛おしいのです。

家に帰ると、妻が息子に宿題の催促をする訳です。

宿題やったの?と。

はいはーい、と息子。

「はい」は一回!と妻。

そんな妻と息子とのやりとりも愛おしいのです。

この本のおかげで、少しかもしれませんが、日々をより認識できるようになりました。

日々とは有限であり。

また自分の時間も有限であり。

そんな有限な時間の中で、自分は本当に何を大事にしたいのか。

そんなことを考えさせられる本でした。

1年に1回はまさにこの本に出会えてよかった!と思うことがありますが、この本は自分の中で一つの人生の節目を与えてくれた本だと思います。

おすすめですので、ぜひ手に取ってみてください。

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