最初はポートランド(オレゴン州)の川沿いの桜を見に行ったことがきっかけでした。

そこから近くにある日系博物館に足をはこび、アメリカでの日系強制収容所の歴史を知りました。

また、私が住んでいるオレゴン州の隣、オハイオ州のミニドカというところに本物の収容所があったことを知り現場に足を運んでみたい、と思うように。

ポートランド郊外、シアトル郊外、バンクーバー・キャマスWAにて巣鴨アドバンススクール(学習塾)とビーバートンにて巣鴨キッズ(幼稚園)を運営しています、みとのやです。

夏休みになにをしたいかという妻との会話です。

妻「夏休みはどこに行きたい?」

ミニドカ!

妻「え?ミニドカ?なにそれ?ミニドラ?」

どらら!って違うわ!アイダホ州にある日系強制収容所!そこに行きたい!

実際に行ってみた

ということで、ミニドカに行ってきました。

ポートランドからアイダホ州に行くには、いくつかルートがあるのですが、私たちが今回選んだのは車で片道9時間のドライブ。

短いルートですと7時間弱なんですけどね。

ロードトリップの詳細は、別記事に書くとして、まずは一番印象に残っているミニドカの強制収容所についてお伝えいたします。

アイダホ州

上の写真はアイダホ州で売っていたトレジョのバッグ。

アイダホ州と言ったら、ジャガイモで有名ですよね。

ジャガイモの生産量はアメリカ1位。

アイダホは乾燥地帯のために、ジャガイモが育ちやすい環境だそうです。

そんな乾燥地帯のアイダホ州に、第二次世界大戦当時、日系人が収容されていた場所があります。

それがアイダホ州のミニドカです。

天候

本当にアイダホは暑かった。。。。

暑いのに、高い木があるわけではないため、木陰が少ないんです。

あっという間に喉が渇きます。

肌もカピカピになります。

帽子は必須ですし、水も常に携帯する必要があります。

また長そでの方が日焼けせず体も楽でした。半そでじゃダメです。

ミニドカに到着

アイダホ州の首都ボイシーにホテルを確保して、ミニドカに向かいました。

ボイシーからミニドカまでは、車で2時間弱。

ミニドカは国指定の場所なので、大々的な案内があるかと思いきや、ひっそりとした案内しかありませんでした。

それも、なぜか案内にはHuntと書いてありまして。

あれ?ここで良いのかな?と思いつつ、車を進めます。

すると、見えてきました。

このシンボル的なタワーが。

そうそう、これよこれ!写真で見たよ、とテンションも上がってきます。

そのまま車を進めると、近代的な建物が見えてきました。

こちらがビジターセンターです。

2019年に改装された、とのことで。

本当に最近のことなんですよね。

ソーラーパネルが付いていたり、トイレも近代的で、節水トイレでした。

外は本当に暑かったのですが、室内は冷房完備で涼しかった。

室内には展示場とミニシアターがありました。

展示場では多くの写真や歴史的な書物が展示されています。

ミニシアターでは、ミニドカ強制収容所のドキュメンタリー動画が流れていました。

ミニドカに行ったらツアー必須

週末(金土日)はツアーがあります。

私たちは、このツアーに合わせて、ミニドカを訪ねました。

ツアーの開始は11時でしたが、10時30分には到着して、ツアーの予約を確保。

ツアーをしてくれたのは、日系のお姉さんで、おじいさんが強制収容されていた、とのこと。

孫がツアーをしているなんて、おじいさんも誇らしいことでしょう。

もしミニドカを訪れることがありましたら、このツアーに合わせて行ってください。

ネットにも十分な情報がありますし、ビジターセンターには多くの展示があるので、十分な情報を得ることはできるのですが、質問したり、他の人の質問が聞けたのは良かった。

一つのほったて小屋には、6家族が住んでいたとのこと。

隣との敷居はなく、プライバシーなど一切ない状況。

しかも小屋にはトイレもシャワーもなく、離れのものを使わなければいけない、と。

私だったら発狂していると思います。

一泊限定とかなら、ワクワクもできるでしょうけどね。

コロナ禍の自宅待機でさえ、私は発狂していたのですから。

ミニドカに強制収容されていたら、もう気が気ではなかったことでしょう。

当時、収容所は全米に10ヶ所あり、そのうちの一つのミニドカに収容されたのは1万人ほどの日系人。

主にワシントン州とオレゴン州の住民だったそうです。

この現場に行って、ミニドカの灼熱を体感してきました。

灼熱と言っても、所詮は6月の気候です。

6月の気候なので、8月と比べればまだマシなのでしょうが、非常に乾燥していました。

水は5分おきにでも飲まないと、喉がカラカラになります。

肌もピカピカに乾燥していました。

こんな中で日系人の方々は住んでいた場所を離れて、有刺鉄線の中に閉じ込められていた。

そう考えると、その最中の日本人、またはその後の日本人が、アメリカでの差別社会の中で踏ん張ってくれたからこそ、私は今日本人としてアメリカに住むことができているのだ、と改めて思ったのです。

まとめ

私は一人の日本人として、このミニドカに踏み入れて本当によかった、と心から思っています。

今の世の中、情報はいくらでも手に入ります。

でも、やはり実際に現場に行って、自分の目で見て、肌で感じることとは雲泥の差があると思っています。

またツアーも良かった。

ツアーガイドのお姉さん曰く、これは日系人だけの問題ではなく、自由を奪われた人たちの物語であり、それは全ての人に関係する話なのです。と。

人種が違うという理由だけで、自由が奪われることがあってはいけない、と。

ツアーに参加していたアメリカ人の方々も何度も頷いていました。

私たち夫婦は今現在、就労ビザで日本人として、アメリカに住むことができます。

また息子はアメリカ生まれのために、アメリカ人として住んでいます。

当たり前のように、現地の学校に行くことができ、私たちも不自由なくアメリカで生活ができています。

街を歩いていても、後ろ指を刺されることもなく。

また家を買う時だって、日本人だからという理由で差別されることもなく。

これも全て、今までの日系の方々が、強制収容という苦難を乗り越えてきてくれたからなのだと思っています。

彼らの苦労に感謝しつつ、これからのアメリカと日本に微力ながらも貢献していければと思いました。

アイダホ州のミニドカ、本当に本当におすすめです。

ツアーが行われているのは、夏の間だけです。

また、週末のみです。

ぜひ足を運んでみて、肌で感じてみてください。

ミニドカのウェブサイトはこちら ↓

https://www.nps.gov/miin/index.htm