先日、アニメ「進撃の巨人」がついに終わりました。

本当に終わってしまいました。

本当の本当に終わってしまいました。

ミカサの「行ってらっしゃいエレン」の謎が明らかになり、私は涙しました。

アルミンの号泣に、私は涙しました。

ライナーのお母さんの一言に号泣しました。

兵長の心臓を捧げるポーズに涙しました。

作者の諫山先生をはじめ、アニメ制作に関わった皆さんには本当に足を向けて寝られません。

最高の作品でした。

ありがとうございました!

ポートランド郊外、シアトル郊外、バンクーバー・キャマスWAにて巣鴨アドバンススクール(学習塾)とビーバートンにて巣鴨キッズ(幼稚園)を運営しています、みとのやです。

数多くの考察がネットには溢れていますので、そういう有益な記事とは一線を画して、この記事では私がどうアニメ「進撃の巨人」とこの3年間を歩んできたのかをお伝えいたします。

進撃の巨人と共に時を過ごし、改めて学んだことがあります。

それは、不自由っていいな、ってこと。

私がアニメ「進撃の巨人」にハマったのは遅く、アニメの放送が始まってから7年後のことでした。

ファイナルシーズンが始まる直前からでした。

その後、3年間にわたってアニメ「進撃の巨人」をリアルタイムで追いかけてきました。

最新話を見て次が気になっても、原作漫画で先取りはしませんでした。

もちろん、原作を買い揃えようと思えば買えるわけです。

私も社会人ですしね。

漫画全巻をポチれますしね。

大人買いだってできますしね。

もう私ほどの社会人になれば、人差し指ひとつで最先端のテクノロジーを駆使して全巻大人買いという任務を遂行できるわけです。

エレンもこう言うことでしょう。

「社会人は自由だ!」と。

経済的に自由な大人の事情を生徒たちに伝えると、いいなって言われます。

大人っていいなって。

そう、そして私も大人っていいよ!って伝えます。

経済的に自由になれていいよ!って。

ただね、選択の自由が、時に楽しみを奪うことになるんですよね。

どういうことかって言うとですね。

もし私が原作の全巻をポチっていたらですよ。

この人差し指を使っていたら。

目の前に「進撃の巨人」全巻が揃っていたら。

それこそ私は数日で読み終わっていたことでしょう。

そして、ストーリーの結論を知った状態になるわけですよね。

もちろん結論を知った私は大興奮することでしょう。

その時はね。

ただ、そうなると、塾の生徒たちとの話し合いはむなしくなっていたことでしょう。

毎週のように生徒たちと進撃の巨人についてワイワイやるのが楽しかったんですよね。

次はどうなる、これって伏線なんだろうか、っていう話を生徒たちとできたひと時は本当に楽しく。

そのなんでもない一瞬が、すごく大切な気がしたんです。

「進撃の巨人」ファイナルシーズンをリアルタイムで見始めたのは2020年12月から。

そこから原作を買い足していきました。

23巻、24巻、25巻、26巻、27巻 と。

そして、ファイナルシーズンのパート1が終わるんですね。

え?ファイナルなのにパート1なの?

パート2の放映はいつ?

1年後?

そんなに待てない!

もう残りの原作マンガを買っちゃうか!と。

俺は社会人だ!と。

俺は自由だ!と。

でも、毎週のように話し合った生徒たちは、原作は読まないって言うんですね。

もうピアプレッシャーですよ。

同調圧力ってやつですよ。

40代のおじさんが、10代の女子から同調圧力を受けてるんですよ。

え?まじっすか?原作読まないんですか?と。

ポチるだけなのに、と。

人差し指でタップするだけなのに、と。

自由なはずのアラフォーおじさんもタジタジですよ。

そこから1年後。

2022年1月、ファイナルシーズンパート2が放送されます。

待ちに待ったパート2。

ストーリーが進むたびに、原作を買い足していきました。

29巻、30巻、31巻、32巻。

それでも、アニメは完結しなかったんですね。

まじか!私は天を仰ぎましたよ。

パート2で終わらないのかよ!

私は煮え切らない思いを胸に、再度待ちます。

またまた1年後。

完結編(前編)が2023年の3月に放送。

それに合わせて原作の33巻を購入。

まだ終わらない!という思いは、この頃には、まだ終わらないでくれ!と変化していました。

そこからさらに8ヶ月後の11月。

先日のことですよ。

ついに完結編(後編)が放送されて、全てが終わりました。

放送が終わった次の日には、まるで長年の業務であるかのように、原作34巻を購入。

私は感無量でした。

やり遂げた、といっても過言ではありません。

この間、約36ヶ月の間、アニメを見ては原作を買い足してきて、ついに最終巻を手にしたのです。

人差し指で最先端のテクノロジーで電子書籍をポチることなく、私は本屋さんに足を運び、紙の本を手にしていました。

私はその時思いました。

最終巻を手にするために生まれてきたんじゃないか、と。

この36ヶ月の間、ずっと「進撃の巨人」はどこに行き着くのだろう、と考えに考えてこれました。

次はどうなるんだろう、と生徒たちと共有してこれました。

それは私が不自由な選択肢を選んだから。

私の選択がもたらした結果なのです。

私は思います。

40代のおじさんが、10代の女子の同調圧力に負けておいてよかった、と。

不自由って悪くないじゃないか。

もっと早くわかっていたら。

まぁ、さんざん社会人としての自由を謳歌しておいて、そんなの虫が良すぎるかもしれません。

でも、私は改めて、この不自由の味を知ってしまいました。

これからも、もし目の前に2つの選択肢があったら。

大人の経済力を駆使できるチャンスがあったら。

自由になれるチャンスがあったのなら。

私は、せいぜい悔いのない方を、不自由な選択肢を選びたいと、思います。