う、なんだこれは。。。
それは土曜日の日本人学校に息子を迎えに行った時のことでした。
ポートランド郊外、シアトル郊外、バンクーバー・キャマスWAにて巣鴨アドバンススクール(学習塾)とビーバートンにて巣鴨キッズ(幼稚園)を運営しています、みとのやです。
話はさかのぼって前日のこと。
私のお腹の調子はイマイチでした。
あれ?何か変なもの食べたっけ?と思いつつ。
ただ一度トイレに行くとお腹は大丈夫になったので私はお腹のことなど気にもかけていませんでした。
土曜日当日、私は息子の迎えの時間が来たので、車の鍵を手に取りました。
妻も念の為、といい保護者パスカードを手にしました。
こちらのパスカードは、日本人学校の校舎の中に入るために必要なのです。
校舎に入ることなんてほぼ無いんだからパスカードは置いておけば、と思ったその時です。
私のお腹が小さく悲鳴を上げていました。
しかし、私はあまり気にかけませんでした。
息子の迎えの時間に遅れてしまう。
隣に妻を乗せて、車を発進させました。
いつもの如く、助手席に座った妻が色々と喋ってきました。
妻と私の会話量の比率は7:3です。
いや、8:2かもしれません。
時には9:1かもしれません。
そのため私は聞き手であることが多く、会話の受け止め方も上手になった、と自負していました。
ただ、今回は、なぜか妻の話が全く耳に入ってこず。
返事もろくにできませんでした。
すると妻が「聞いてるの?」と。
怒られそうだったので、私は正直に伝えました。
「ちょっとお腹が痛くて、ごめん」と。
運転を変わろうか、と妻も言ってくれたのですが、しばらく運転しているとお腹もおさまり、私たちは無事に日本人学校に到着。
駐車場
駐車場に車を停めます。
すると、ここぞとばかりにお腹が悲鳴を上げました。
私は考えました。
ここでがまんしていたら、やばいかもしれない。
でも、ここでがまんして家に帰れたら、家のトイレでゆっくりできる。
日本人学校のトイレとわが家のトイレ。
それなら慣れたわが家のトイレだろう、と。
しかし、お腹は私の意思とは反対に、どんどん悲鳴のボリュームを上げていきます。
まるでこのチャンスを逃すまい、とするかのように。
私は考えました。
これはもう無理だ、と。
家のトイレは諦めるしかない。
ならば日本人学校のトイレを借りるのみ。
しかし、トイレにたどり着くまでには幾つもの関門がありました。
まずは保護者の間を通り、次に警備員さんの許可をとり校舎内に入り、カフェテリアを抜けなければ、トイレにはたどり着けない。
こんな悲鳴を上げているお腹を抱えながら、私はトイレまで無事にたどり着けるのだろうか、と。
険しい表情をした私に、妻は言いました。
「トイレ行っておいた方がいいんじゃない」
そ、そうだよね。
そうだ、トイレにたどり着けるかどうかではない。
たどり着くのだ!と。
そして「これ」と妻から保護者パスカードを受け取りました。
トイレへ
妻と私は車から出て、妻は息子を迎えに、私は日本人学校の校舎内に向かいます。
私は黒い帽子をかぶっていました。
帽子を深くかぶり誰にも目を合わせないように移動です。
自分で言うのもなんですが、日本人学校には多くの知り合いがおります。
それこそ巣鴨アドバンススクールの塾生もいれば、その保護者、または巣鴨キッズに通ってくれていた元園児たちとその保護者。
日本人学校なんて知り合いだらけです。
案の定、私の耳には、聞いたことのある保護者の声も聞こえてきました。
また視界にも、何人か見覚えのある姿も。
いつもなら声をかけるのですが、今回は完全にスルーです。
完全に己の存在を消しました。
私は人混みの中、右足と左足を前に出し、一歩ずつ校舎に歩んでいきました。
そして、校舎の入り口にたどり着きました。
学校の入り口にいる警備員さんです。
手元には妻から渡された保護者パスカードもあります。
これがあれば、警備員に止められることなく、校舎内に入れる。
黒い帽子を目深にかぶった私ですが、怪しまれないように、満面の笑みで保護者パスカードを見せます。
私は怪しいものではありません。ただトイレに行きたいだけなのです。
冷や汗たらたらでしたが、警備員さんは怪しむこともなく、目配せだけで通してくれました。
無事に校舎の内部に入った私、次の関門はカフェテリアです。
カフェテリアには多くの生徒たちがたむろっています。
何せ塾に来ている生徒だけでも相当いるわけで、パッと見ても、何人か生徒たちがいました。
もう誰にも声をかけるな。
寄り道している余裕はない。
塾生が視界に入ろうが、私は徹底的に目を合わせませんでした。
とにかくトイレに一直線。
しかし、そこで意外にも1人の保護者に捕まります。
「先生!見ましたよ!」
う、捕まった。。。な、何を見たんだ。。。
「ブログ!大浴場のホテル!行きますね!」
「は、はい、ぜひ!」私は4文字を発するのが精一杯でした。
いつもなら愛想良くするのですが、私はそれどころではありませんでした。
お腹はもう悲鳴を上げまくっていたのです。
トイレ。
私のトイレ。
もう日本人学校のトイレは、わが家のトイレ以上に「私のトイレ」になっていました。
そのままトイレに一直線です。
最後は小走りでした。
私は真剣でした。
人生で一番真剣だったかもしれません。
カフェテリアを無事に通り抜け、トイレへ。
右手に空いている個室を確認。
慌てていると鍵をかけるのに手こずるもの。
全てが間に合った瞬間、私のお腹の悲鳴は跡形もなく消え去ったのでした。
この世は平和を取り戻しました。
その後
トイレからの帰り道は、打って変わって、挨拶です。
満面の笑みで挨拶です。
別に塾生だろうが、塾生でなくても挨拶できちゃうほどに心は穏やかでした。
知り合いの方々にも挨拶です。
さっきと打って変わって余裕です。
おそらく保護者の方も、私のビフォーアフターにびっくりしたことでしょう。
駐車場にある車に着くと、妻が心配そうな顔をしていました。
私は満面の笑みで「これのおかげでなんとか間に合ったよ!」と。
手に持っていた保護者パスカードを妻に返したのでした。
みなさん、保護者パスカードは持っておいて損はありません。
ピンチはチャンスって言いますもんね!時が経てば恥ずかしいエピソードも武勇伝の仲間入りですよね。
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共感しかありません。私は、最悪の場合は、野にしようと思いながら生きています。もしくは最悪の結果を人生の武勇伝にしようと思っています。
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